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なぜ?名古屋港にある“歩道に背を向ける像”

発展に尽力した奥田助七郎

歩道に背を向けるようにして立つ、奥田助七郎の胸像(中)=名古屋市港区で
歩道に背を向けるようにして立つ、奥田助七郎の胸像(中)=名古屋市港区で

 名古屋港の発展に尽くした元県土木技師、奥田助七郎(1873~1954年)の胸像が、名古屋港管理組合庁舎(港区)にある。が、なぜか人が通る歩道ではなく、外階段を向いている。おかげで歩道からは胸像の後ろ姿しか見られず、誰の胸像か分かりにくくなっている。貨物の総取扱量日本一を誇る、名古屋港の礎とも言える人物なのに、どうして? (白名正和)

 スーツにネクタイ、眼鏡をかけた助七郎の胸像は、同組合の2階玄関へ続く外階段のそばに立つ。胸像の顔は階段側を向き、名古屋港水族館の来場者らでにぎわう歩道からは、後頭部や横顔しか見られない。「奥田助七郎氏」と書かれた台座部分も見えない。

 助七郎は1900(明治33)年に県の土木技師となり、名古屋港の築港事業に取り組み続けた。当時、日清戦争後の不況などで名古屋港の築港に反対意見が多かった。助七郎はロシアの巡航博覧会船「ろせった丸」の入港をあえて小規模な熱田港へ誘致し、大規模な名古屋港の必要性を訴えた、との逸話もある。

地図

 「名古屋港を造った中心的な人物」と、名古屋港管理組合の広報担当者は評する。そんな重要人物たる助七郎の胸像が階段側を向いているのは、なぜなのか。

 広報担当者によると、胸像は助七郎の功績を語り継ぐために、死去から3年後の57(昭和32)年に作られ、現庁舎から道路を挟んだ場所にあった同組合旧庁舎のそばに建てられた。歩道からもよく見える場所で、自らが関わった港を眺めるように南を向いていた。

 2010年9月に同組合が現庁舎へ移転する。胸像も移設することになったが、問題が浮上した。

(上)奥田助七郎 (下)名古屋港管理組合の旧庁舎そばに立つ奥田助七郎の胸像=1957年ごろ撮影、いずれも同組合提供
(上)奥田助七郎 (下)名古屋港管理組合の旧庁舎そばに立つ奥田助七郎の胸像=1957年ごろ撮影、いずれも同組合提供

 港の発展に貢献した人物だけに、胸像は港を一望できつつ、港の利用者の目に触れる場所に置きたい。しかし、海を見渡せる現庁舎の南側は駐車場や建物が並び、人目に触れない。かと言って人通りが多い北側に置くと、現庁舎で隠れて海が見えない。

 「さまざまに検討した結果、今の場所、今の向きで置くことになった」。確かに現在は、歩道を行く人の方を向いてはいないものの歩行者の目には触れる。さらに胸像の目線は名古屋港水族館や金城ふ頭を向いている。

 階段向きの胸像は、港の功労者へ敬意を払うために苦心した結果のようだ。広報担当者は続ける。「台座部分は見にくいかもしれないが、歩道の足元部分には助七郎の功績をたたえた碑文がある。港に来た時は、注意して見てほしい」

(2019年10月24日)

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