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江南市にある“布袋の大仏”の謎

夢のお告げで私財投じた 父と手作り5年がかり

わが街探偵団 【読者からの質問】愛知県江南市の布袋駅近くに、お寺ではないのに大仏様があります。なぜでしょうか。実は鍼灸(しんきゅう)院らしいのですが・・・。

 名鉄犬山線布袋駅から北に約1キロの線路沿い。住宅街に突然、大仏が現れる。車窓に出現するその螺髪(らほつ)に目を奪われた人も多いのではないだろうか。

父・秀信さんが残した大仏を見つめる前田さん
父・秀信さんが残した大仏を見つめる前田さん

 地元では「布袋の大仏」の名で親しまれているが、正式には「御嶽薬師尊」という。像はコンクリート製で、高さは18メートル。奈良・東大寺の大仏より2メートルも高い。その背面は「布袋大仏接骨院」とつながる。というのも、この院を営む前田正秀さん(82)の亡き父、秀信さんが私財をなげうって作った私有物なのだ。

 正秀さんによると-。秀信さんは先の大戦で徴兵され、訓練中に同僚の銃が暴発。片目を失った。戦地に赴くことはなかったが、仲間は皆、帰らぬ人に。「戦没者の慰霊をしたい」。そう思い続けていたためか、43歳のある夜、夢のお告げがあった。「大仏をつくりなさい」と。

 戦後、名古屋市西区で鍼灸師をしていた秀信さんは、御嶽教を信仰しており、1949年にこの場所に、お告げに従い、その本尊として大仏を建立した。

 私財を投じた大仏は手作りでの作業だった。高校生だった正秀さんも休みになるとコンクリートを練って砂利を運んだ。近所の人たちも参加し、秀信さんの指示で、鉄骨を入れ、木の型板にセメントを流し込んだ。趣味で作った秀信さんのブロンズ像を基に設計したので「父によく似ている。私にも似ていますよ」と笑う。大仏は5年の歳月をかけて54年に完成。「貧乏しましたよ。現金がなくなっちゃったわけだから」。小遣いはほとんどもらえず、裕福な友人がうらやましかったという。

 今では、市民団体「ほていコミュニティー協議会」が年始や桜の季節にライトアップするなど地域のシンボルとして定着。実は、近くに「大仏殿」(布袋町)に安置されている県指定文化財の仏像があるが、そちらより有名になってしまったほどだ。

後ろは接骨院の建物とつながっている=いずれも愛知県江南市木賀町で
後ろは接骨院の建物とつながっている=いずれも愛知県江南市木賀町で

 正秀さんは、薬剤師として働いていたが、40歳で渡米。ロサンゼルスで20年間、鍼灸師として働いた。しかし、母親が体調を崩し単身帰国。以後、大仏裏側の礼拝堂を改装し、施術院を開業しながら、大仏を守っている。院をたたんだら子どもたちが暮らす米国に帰るつもりだという。だが、今は「長男として、両親が残した大仏を守るためにここにいる」。大仏を仰ぎ見るまなざしは、仏のような優しさだった。(鈴木里奈)

(2019年10月19日)

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