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どうして江南には"斜めの道"が多いのか

迷路に歴史が

道路が複雑に交わる交差点=愛知県江南市力長町で
道路が複雑に交わる交差点=愛知県江南市力長町で

 稲沢通信部に赴任して4カ月。担当外の愛知県江南市の道は全くと言っていいほど不案内だ。そんな事情を知ってか知らずか、デスクの指令は「カーナビに頼らず、質問者の家を目指せ。その方が面白いやろ」。

 江南市に入り、県道沿いのコンビニに車を止めて地図を開く。質問者の自宅までは東に3キロほど。再びハンドルを握った。が、走れども着かない。ふと、気付けば大口町境にいた。道を間違え、知らないうちになぜか南東方向に進んでいたらしい。10分ほどの行程を約30分。道行く人に尋ねながら、ようやく着いた。

 大阪から5年ほど前に引っ越してきた桑山さん。「最初はナビを使わないと自宅すら帰れなかった。今も記憶を頼りに行くと間違えそうで・・・」と苦笑する。「道が分かりにくくて嫌い」「知らない間に(木曽川の)堤防沿いを走っている」。他の住民からも驚くべき証言を聞いた。

 なぜ、迷いやすい道路になったのか-。謎を解く鍵は、市の特徴である扇状地の地形と、「暴れ川」と恐れられた大河・木曽川の氾濫の歴史にあった。

 市歴史民俗資料館に足を運んだ。大藪晃嗣館長(64)の説明はこうだ。

地図

 「御囲堤(おかこいづつみ)」と呼ばれる巨大堤防ができた江戸期以前のこと。木曽川が氾濫するたびに市北部から南西方向へ水が流れ込んだ。そのため集落は「水の流れを避けるように比較的に高い場所に点在するようになった」というのが大藪さんの説だ。

 明治時代に大日本帝国陸地測量部が作成した地形図を見ても、確かに低地には桑畑や田んぼが広がる。集落は、氾濫時に水が流れる"筋"に沿った高い場所に多かったと考えられる。だから旧道は、集落を縫うように造られ、当時、対岸の美濃地域と結ぶ重要拠点だった草井地区の渡し場や要所の犬山の方向へ斜めに走るようになった。

 近代以降、新たな道路が造られるが、市内と対岸とをつなぐのは、2013年に各務原大橋ができるまでは、渡し場近くに建設された愛岐大橋だけ。結局、幹線の多くは、橋の方向に集まるように市域を「斜め」に横切った。それに細かい道が複雑に交わり、"迷路"が形作られたのだろう。

 1日かけて市内を巡り、帰路につく。でも、また迷い、最後まで悩まされた。デスク。許されるなら江南での取材は・・・。

 (稲沢通信部・牧野良実)

(2019年4月6日)

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