神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第36回『旅立ち』

 会社から帰ると、母が目で合図を送ってきました。

 傍に父が居たので、悟られぬように内緒で送ってきた合図です。
 それが何を意味しているのか、私はすぐに理解しました。
 届いたんだな・・・。

 興信所に依頼してあった父の素行の報告書が届いたのです。
 夕飯を済ませ、お風呂に入り、父も自分の部屋に入ったきりになったので、母が私の部屋のドアをノックしました。
 母は、手に大きめの書類袋を持ち、足音を立てないように中に入ってきました。

 「思った通りだったわ・・・」

 そう言うと、母は袋の中から、報告書類と何枚かの写真を取り出しました。
 チラッと見えた1番上の写真だけで、もう報告書などいちいち読む必要が無い結果でした。

 私は、まるでドラマの中にいるような気持ちでした。
 まさか、こんなシーンが現実に起きるとは・・・。
 視線は固まり、口は「あっ!」と声にならない状態で半開きのまま、見たくない現実と向き合わねばならない全身の硬直。

 写真の中には、見知らぬ女性が自転車に乗っている後ろ姿が写っていました。
 体格のいい女性で、サドルに乗った大きなお尻が、やけにイヤラシク見えます。
 不潔だ・・・。

 次の写真で女性は自転車を降り、迎えに来た車に乗り込みました。
 まぎれも無く、父の車です。運転席には父が乗っていますが、表情は無表情。
 決して絵になるような雰囲気ではなく、女性の方も、とてもドラマには成り得ない普通のオバサンです。その後の行動で、二人がただならぬ仲だと言う事は、はっきりと写真がとらえていました。

 悲しい・・・。

 不思議と怒りの感情は無く、哀れな悲しさを感じました。
 私が哀れなのではなく、この写真の中の二人が哀れに見えたのです。
 物凄く愛し合っているようにも見えず、命懸けの逢瀬を重ねている風にも見えず、手近な刺激で退屈な日常を紛らわしているようにしか見えない安っぽい写真。
 ドラマチックな要素など微塵も感じられないこの写真の男が、自分の父親だと思うと、むしろ見て見ぬふりをしてあげたくなる程、哀れに見えたのです。

 ただ、父が凄かったのは・・・、

・・・・・・・、

・・・・・・・、

・・・・・・・相手が一人ではなかったという事です。

 「えっ?さっき写ってた人と違うんじゃない?」

 ちょっと、いくらなんでも駄目でしょう。
 父に対して、いくらこれまでの感謝と愛情のある部分はあっても、ここまでともなると、さすがに情の熱は冷めるものがあります。
 私は娘だから「熱が冷める、感情が引く」で済みますが、母は女として深く傷ついたに違いありません。

 さて、どうする・・・???

 声を荒げて嫉妬に怒り狂うような母ではないし、むしろそんな事をしたら、今の我が家には、火に油を注ぐようなもの。

 「お母さんが人生を共に過ごす相手と思えないのなら、私はその意思を尊重する。
 とにかく、今は事を荒立てるのはやめて、お母さんは自分の人生をよく考える事が先決だと思う。その上で、今後どうするのかを決めよう。
 それまではあくまでも、今まで通りに」

 母はこの私の提案を受け入れ、じっくりと自分の人生を考えて、結論を出すと言ってくれました。

 普通なら大喧嘩になるところでしょう。しかし、私はもう家庭の中で家族がいがみ合うのは懲り懲りでした。
 生んでくれた父との事といい、2番目のこの父の事といい、揉め事はもうウンザリ。
 揉めるくらいなら、冷静に考えて、余分に傷つけ合う事の無い結論を出した方がいい。どうせ、一度は全てを失った身。また一から出直せばいい。
 とにかく、母の納得のいく結論を出したい。
 それが、二度も結婚で傷ついた母をケアしてあげられる手立てだと思いました。

 母がこの生活を解消したいなら、そうしよう。
 母がこのまま生活を続けたいなら協力しよう。
 とにかく、今は母も私も、自分の心と向き合う時。そう考えていました。

 そして、表向きの日常は変わらず、私たちが父の秘密を知っている事を悟らせる事も無く、いつも通りの生活が続いたある日の事でした。

 会社で仕事をしていると、私のデスクの電話が鳴りました。午前中の事でした。
 事務職なので、毎日沢山の電話が掛かってきます。
 ですから電話の音は聞き慣れた音なのに・・・。
 あの時の事だけは、いまだに不思議でなりません・・・。

 プルルルルル~プルルルルル~

 普段と全く同じ音なのに、私はその瞬間、言いようも無いイヤ~な気持ちで、胸がギュッとなったのです。不吉な予感がしたのです。こんな事は初めてでした。

 「こちら交換です。杉浦さんに、御親戚の方からお電話です」

 当時、私は戸籍上は神野でしたが、会社では生まれた時の名前、旧姓の杉浦を名乗っていました。
 親戚、と言われて思い当たるのは、別れた父がお世話になっている父の妹。私にとって叔母に当たるあの人です。母が苛められ、罵声を浴びせられたあの叔母。
 父に何かあったのかしら・・・? 恐る恐る声を出しました。

 「もしもし・・・?杉浦です」

 「あっ、三枝ちゃん、わかる?」やはり、あの叔母でした。

 「お兄さんが、このところ元気がなくて、今朝もお酒を飲んでグッタリしているの。
 声を掛けてもダラ~っと横になったままでね。多分、寂しいんだと思うの。
 元気付けに、今日会社が終わったら、顔を見せに来てあげてくれない?」

 はーぁぁ。私は叔母に聞かれないように深くため息をつき、

 「すみません。わかりました。今日、会社が終わったら行きます。
 いろいろ迷惑掛けてすみません・・・」

 心が、ドッと重くなりました。胸が締め付けられます。フラッシュバックです。
 幼い頃からの父の姿、どうにもならなかった家族の捻(ねじ)じれた過去が蘇ってきました。
 離れて暮らしても、まだ親の心配が絶えない自分に、つくづく家族運の無さを感じ、悲しみが襲って来ました。
 最初の父も、二人目の父も、なぜこんなに心配ばかり掛けるのか・・・。はぁ~。

 すると、ポン!と、私の肩を叩いて課長が言いました。

 「おやっ、珍しいね~。杉浦さんでも浮かない顔をする事があるんだね~。
 何か、心配事? 君はいつも元気で明るいのが取り柄なんだから、そんな顔は似合わないよ。ファイト、ファイト!」

 取り柄ね・・・。
 子供の頃から、泣けちゃうようなことばっかり起こるから、無理にでも笑っていないと、悲しみに押しつぶされそうになっちゃうから笑ってきただけ。
 なのに、いつの間にかそれが、、、取り柄になってしまったとは・・・。

 気が重い。父にどんな顔で会いに行ったら良いのだろ・・・。
 実の親子で、変わらぬ愛情を抱いていても、心が躊躇するのです。
 それは、またお酒に飲まれ、生きる気力を失った父の姿を見るのがイヤだったからです。そして、父が一人で寂しい生活に耐え、苦しんでいるに決まっている、その苦しそうな顔を見るのも辛かったのです。

 ため息をつきながら、午後の仕事が始まりました。
 時計の針は、もうすぐ3時になるという時でした。
 机の電話がまた鳴りました。さっきの電話の後も何本も電話は掛かってきているのに、なぜかその時! 直感で感じました!

 お父さんが、死んだ!

 電話に出ると叔母からで、心配になってもう一度見に来てみたら、父が朝と変わらぬ体勢のままで、息を引き取っていたと教えてくれました。

 人は、人生の中で、本当に特別の事だけ、普段では絶対にあり得ない、不思議な力が働くのですね。あんな不思議な直感は、あの時一度きりです。父が、私に知らせたのでしょうか?

 叔母は言いました。
 「お通夜とお葬式をあげて貰わなきゃいけないから、これからすぐに来てね」

 こんなこともあろうかと貯金をしておいて良かった・・・。
 私は、貯金を全部おろして50万円を握りしめて近鉄電車に乗りました。
 会社には、遠い親戚に不幸が起きた事にしました。
 実の父だと言えば、会社が弔問だ、お花だと大騒ぎになってしまうからです。会社の人たちに四日市に来られても困る。ましてや、弔問客の一人もいないお葬式を見られたくはない。
 お父さんは、娘だけが送ってあげればいい。心から大切に送ってあげれば、人数や、豪華なんてものはどうでもいい・・・。

 初めてのお葬式に戸惑いながらも、立派に送ってあげよう。その気持ちだけでした。
 母には途中から電話を入れました。
 母は私が心配でならず、「母さんも、行ってあげたい」と言ってくれましたが、父とは辛い思い出ばかりの母に、最後の最後まで苦労をさせたく無く、断りました。
 「お母さん、お母さんはもう別の人と結婚しているんだから、いつまでも過去にとらわれてちゃいけない。
 そんな事、神ちゃんが知ったら、お母さん、もっと神ちゃんに辛く当たられるから。
 神ちゃんには、私が家を空ける事は上手に言っておいて。
 この事でお母さんと神ちゃんが今以上に拗(こじ)れたら、その方が私には辛い。
 心配しないで・・・。行ってくるから」

 父は最後、叔母夫婦に仕事を貰って、焼き鳥屋をやっていました。寝起きしていたのは、その焼き鳥屋の2階でした。

 私が着くと、叔母は「こっちへ」といい、父が寝起きしていた部屋に連れて行きました。6畳一間の部屋に、昔、岡崎の家で使っていた見慣れた父のベッドが置かれ、脇にやはり見慣れた赤い小さなテレビが置かれていました。
 そして、父はベッドの下の床に寝かされ、上から掛け布団が掛けてありました。
 その顔はとても穏やかで、子供の頃いつも私に優しい眼差しで微笑んでくれた顔でした。

 その表情が、最後に父が苦しまず、静かに息を引き取った事を語っており、私にとって唯一の救いでした。

 私は緊張していました。
 お葬式を上げるという責任に緊張して体が固まって、涙さえこぼす余裕がありませんでした。
 その時でした。叔母が、父に掛けてあった掛け布団を剥がしたのです。

 すると!

 父は、真っ裸で床に置かれていたのでした。
 父が亡くなった時、一人だったので、他殺、自殺、事件性を調べる為に警察が衣類を脱がしたからでした。
 私は思わず、首を背(そむ)けて、目を反らしました。
 当時、私22歳。男性の全裸姿にびっくりしてしまったのです。
 ましてや実の父の性器が露(あら)わになった姿など、22歳の女の子には直視できる筈がありません。なぜ叔母がそんな事をしたのか、わかりません。
 私は父の衣類の中から、昔父がよく着ていた着物を取り出し、父に着せました。
 父の体は冷たく、硬直していました。

 本当に死んでしまった・・・。
 この父に、幸せな思い出は、いったいいくつあったのだろう・・・と思いながら着物を着せ、私たち親子はこんな形でしか繋がっていられない運命だったのだろうか・・・と思いながら帯を締めました。
 あんなに苦しめられた父なのに、今、私の腕の中の父は、無抵抗のお人形のようで、弱く思えて仕方ありません。

 父に布団を掛けると、すぐに電話帳で近所にある葬儀屋さんを探し、こちらに来てもらい、お参りの支度を整えて頂き、御寺様を紹介して頂いて、枕経を上げて頂き、夜のお通夜、翌日のお葬式、出棺、初七日までの段取りを決めました。
 経験は無くても、葬儀屋さんに教えて頂きながら、なんとか出来るものです。
 でもその間、叔父と叔母は、何もしてくれませんでした。その時は自分のしなくてはいけない事に精一杯で、なぜ手伝ってくれないのか? 意地悪だな~としか思いませんでした。

 お通夜も、お葬式も、一人も参列のお客様は無く、父と娘だけの最後のお別れでした。お金がなかったので、役場の人に相談して、火葬場の脇の公民館をお借りしました。御寺様が来て下さり、お経をあげてくださいました。
 お経の最中、父が岡崎で呉服屋の社長を続けていたなら、街中の大勢の方がお別れに来て下さっただろうに、最後は娘に見送られるだけの寂しいお別れになってしまった事を考えていました。でも、何百人もの人々に見送られるお葬式と変わらない精一杯の愛情で、父を送ってあげたつもりでいます。

 全ての儀式が終わり、父の部屋に戻ると、叔母が言いました。
 「明日中に、この部屋の全ての荷物を片付けて、明日中に出て行ってちょうだい」

 時間がない。
 寝ていないから、体がフラフラする・・・。
 それでも、片付けなくては・・・。

 改めて父の殺風景な部屋を見渡しました。
 赤いテレビの上に、私が小学校の修学旅行でお土産に買ってきた、繭で作った小さなお爺さんとお婆さんのお人形が飾ってあります。こんなのを大事にしていてくれたんだ・・・。
 壁には、私が高校生のお正月に家族4人で初めて写真館に行って写した家族写真が飾ってありました。家族4人が、呉服屋らしく、みんな着物を着ている写真です。
 なぜ、父がこの写真を持っていたのか? 父は死ぬと言って家を出て行ったきり、一度も荷物を取りに帰ってきた事はないのに・・・。
 そうか・・・。お母さんか・・・。岡崎の家を出てくる時、母が父の荷物をまとめて父に送ったのですが、その時に荷物の中にこの写真を入れていたのですね。
 あれだけ、父に苦労させられた母が、別れてようやく自由になる事が出来た筈の母が、家族4人の写真を父に送っていたなんて・・・。
 母から父への精一杯のメッセージだったのでしょうか。
 「頑張って生きて頂戴ね。あなたには、家族が居るんだから...」と。
 それを、飾り気のない部屋の壁に1枚飾っていた父。この写真だけが、父の晩年の温もりだったのでしょうか。

 母は母で、父は父で、姉は姉で、私は私で、それぞれが家族を愛し、この世で一番掛け替えのないものだと大事にしてきました。
 ただ、我が家の場合は、普通の家庭のように、一つ屋根の下で、暮らす事はできませんでした。
 家族には、いろんな形があります。正解は一つではないと思います。
 我が家は結果的に、家庭は壊れてしまいましたが、私は、父と母の娘として生まれてくる事が出来た事を幸せに思っていますし、今でも、父を変わらず愛しています。

 全ての片付けが終わり、叔母の所に報告と、これまでのお礼を言いに行くと、叔母が言いました。
 「なぜ、私たち夫婦があなたを、一切手伝わなかったのか分かる?」

 私は、3日間一睡もしておらず、頭がボーッとしてましたので、叔母の質問に頭が回りませんでした。
 すると、叔母は怖い顔をして、こう言いました。

 「みえちゃん、あなた、お父さんの遺体を見た時、目を背(そむ)けたでしょ!
 実の父親が亡くなったと言うのに、まるで汚いものを見るようにイヤな顔をして目を反らすなんて、それでもあなた娘なの!
 それどころか、涙一滴さえ流さず、
 あんたって子は、どういう薄情な子なの!
 だから一切手伝わなかったのよ! 肝に銘じるといいわ!」

 私は、蛇口の壊れた水道のように号泣しました。
 浅はかな叔母の言葉に傷ついたのではなく、誰にも言えず、溜めに溜めてきた感情が破裂してしまったのです。
 涙が溢れて溢れて、悲しくて、今まで長年ず~っと堪(こら)えてきた涙を全部流しました。
 この悔しさと、溢れる涙の訳は誰にもわからないでしょう。
 私の生きてきた22年の分の涙です。
 父、享年53歳。私22歳の4月、桜の散った寂しい春の日の出来事でした。

 父は旅立ちました。
 そして、父の死後しばらくして、私はジャン・コクトーの「美女と野獣」という古い映画を観ました。
 野獣が美女と逢えず、寂しさのあまり死んでしまう物語です。
 私は、野獣に父の姿を重ねました。
 あれだけ「自殺する、自殺する」と言って困らせた人が、最後は眠るように静かに息を引き取ったのです。その若さで、いともあっさりと・・・。
 私は思いました。きっと父も、寂しさのあまり、命が尽きてしまったのだろう...そう思っています。

 お父さん・・・、今でも忘れません。
 昔、自殺をしたがるお父さんに、私の忍耐力が負けた時、「お父さんの好きにしていいよ」と言った私を抱きしめて、「お前は、嫌な事はハッキリ断れる、NOと言える人間になってくれ」と言った事。
 あれから28年、私、優柔不断なところがあって、なかなかNOとは言えていません。

 でも、お父さんの本当に言いたかった「自分を大事にするんだぞ」という意味は守っています。
 いろいろあった人生ですが、今は素直にすべての過去に感謝できる大人になりましたよ。

 父が生きていたら、何と言ってくれるでしょうか・・・?

 そして、もう一つ告白させてください。
 この『礼状』を書いてきた中で、ある時から、私に声が聞こえて来るようになりました。

 それは、亡くなった父の声です。
 最初、これだけ家族の事を赤裸々に書く事を躊躇(ためら)う気持ちもありました。
と言うのは、父の良くない事まで書く事が、娘として、人としてどうなんだろう? 卑劣なのではないだろうかと悩んだからです。
 しかし、ある時、父が夢に出て来て、こう言ったのです。

 「書いてやってくれ。
 世の中に、お母さんのような、頑張りやで、苦労を物ともせず、歯を食いしばって生きてきた、凄い女がいた事を、書いてやってくれ」

 夢の中の父は、母を自慢していました。
 私は、この『礼状』を、亡くなった父が書かせてくれたものだと思っています。

 最後になりました。
 高校を卒業し、家庭が崩壊して、商売をたたみ、何もかも失って、身体1つで故郷を出てきた時に、母が私に言ってくれた言葉を綴ります。

 「いい? 私たちは何もかも失(な)くしてしまったけど、これから先の人生は、自分たちの生き方次第でどういう風にでも未来は開けていくのよ。
 この先どんな人生が待っているかは、自分たち次第!
 そう思ったら、1年後、10年後、母さんは自分がどーなっているか、楽しみでしかたないわ!
 今から頑張ればいいだけの事じゃない!
 これまでは母さんが育ててきたけど、これからは横一線、同じスタートラインに立ったと思って、ゼロからのスタートよ!
 ヨーシ!どっちがいっぱい幸せを掴むか競争だよ!
  悔いのない人生を過ごしましょう!」

 実に前向きな人です。
 あれから28年。
 あの時楽しみにしていたのが、今の私の姿です。
 母も70歳になりました。幸せに暮らしております。

 生き方次第。だから人生は面白い。人生は変えられるのです。

 父に、母に、全ての過去に感謝を込めて、『礼状』を贈ります。
 産んでくれて・・・
 育ててくれて・・・
 守ってくれて・・・
 大切にしてくれて・・・
 全部、ありがとう。    

<完>


最後の写真は、少し前に撮った母と私の記念写真です。「お母さん、ありがとう・・・」

20110307jinno.jpg
 3年に渡り、お読み頂きました『礼状』は今回をもちまして、最終回とさせていただきます。
 この後まだ、2人目の父との家庭生活の終末、そして私が実の父以上に感謝を寄せる事になる3人目の父との出会い、それに伴うトラブルや葛藤、そこから見えた真の幸せの意味と、私の大きな夢の行方・・・。礼状には続きがあります。
 この続きを皆さまには、別の形でお目にして頂けるよう、努力していきたいと考えております。
 どうかその時が参りましたら、『礼状』の最終章をぜひご覧ください。

 全36回、お読み頂き、誠にありがとうございました。
 心から、お礼を申し上げます。

 次回からは、私が15年間、旅をしてきました、外国の面白可笑しい旅行記をお送りいたします。引き続き、ご愛読いただけましたら幸いです。

 3月、旅立ちの時・・・。
 皆様の人生に、素敵な春が訪れますように・・・。


 2011年3月 神野三枝

神野三枝 プロフィール
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コメント

銀の皇帝: 2011年3月 7日 10:54

今回は、涙なくして読めませんでした・・・神ちゃんとのことよりも、杉浦のお父様と、「本当の親子」にやっとなれた。そして、家族の形は1つではないけれどオリジナルに勝るものはないということが伝わってきました。
3人のお父様、それぞれの形、強い精神力、事実だからこそ正面から感じられる、そんな感想です^^
続編、旅行記楽しみにしています。第1部お疲れ様でした。

まさやん: 2011年3月 7日 13:13

神野さんのエッセイを読んで人は生まれてからいろんな人達の支えがあり、生きていけるんだとつくづく思いました。
礼状は人生での感謝状なんだと。
礼状は今回で終わりますが続きは必ず作品として発表してくれる事を節に願います。
次回からの旅行記も楽しく拝見させていただきまね。
今度はかなり笑いの要素がありそうであのギックリ腰事件もあるのかなぁ。

奇跡の復活: 2011年3月 7日 13:29

神野さんの人生において、辛く、人には見せたくない負の部分が多く綴られていましたが、決して後ろ向きではなく、むしろ、こうした経験から得たものが伝わってきました。人には相性というものがあります。どんなに素晴らしい人と言われる人でも、どうしても合わない人もいるでしょう。逆に、どうしようもない奴と言われる人でも、物凄く共感できたりする人もいるかもしれません。否定や批判は簡単です。それよりも、まずは自分を見つめ直す努力が先なのでは。36のお話を通じて、感じました。

たっちょん: 2011年3月 7日 13:47

最後の写真。お母様本当にお綺麗ですね。生き方というかが滲みでています。凛としてでも温かいそんな感じですね。
杉浦のお父様、最後愛する娘に送られてお幸せでしたね。
三枝ちゃんにとっては、本当に辛い事だったと思いますが…
だから夢に出てきて下さったんじゃないでしょうか?

続編楽しみにしています。

バードちゃん: 2011年3月 7日 15:36

素晴らしいお話ありがとうございました。どんな時にも現実から目をそらさずに向き合って解決してこられた事、深く感銘しました。これからも、素敵な人生を送ってください!!

ビンちゃん: 2011年3月 7日 17:30

いつもラジオから流れてくる宮地さんとの明るいトークからは、想像もできない波乱万丈の人生を過ごされているのに大変驚きました。人生山あり谷あり、みんな幸せな人ばかりではありません。お母様を大切に、また、ご主人とも力を合わせて、持ち前の明るさとバイタリティで、前向きに、頑張っていってください。「永久に幸あれ」とお祈りいたしております。

バンバン爺: 2011年3月 7日 19:43

人生って人それぞれ色々な事が有ると思いますが、今回の完結編だけでもお母さんの波乱万丈の生き方、そしてそんな家庭環境に育った三枝さんが体験した青春時代に、フィクション小説を読んだ気がしました。
犬もソッポを向くつまらない夫婦喧嘩程度はむしろ幸せなんですよね。

港のいくちゃん: 2011年3月 7日 20:15

今回で・・最終回ですか…第1話から 拝見してましたが、寂しく思います。いつもラジオ聴いてますが 神野さんの 笑い声 いつも 楽しそうで、今まで 沢山辛い事があったなんて 嘘のような 笑い声に つられて 私も 笑っています。何事も前向きにですよね! 最終章も気になります。 これからの旅行の話も 拝見させてもらいます。明日からも、頑張ろうって思いました。神野さんみたく 沢山笑い、幸せになりまぁす。

ねこねこアイランド: 2011年3月 8日 08:50

最終話ですね。お疲れ様でした。 
実の兄が亡くなったと言うのに、あまりの鬼叔母ぶりに とてもノンフィクションとは思えないほどです。 
お父さんが亡くなったのに、お姉さんも呼ばずに 一人でよく頑張りましたね。
壮絶な体験は本にして作品として別世界に送れば、あとは幸せばかりの人生ですよ。
神野さんと、この読者、関係者、全てが幸多き人生でありますように♪

けいちゃん: 2011年3月 8日 15:50

全36話、お疲れさまでした!
22歳の若さで、たった一人でお葬式を出す、そんな大変な出来事があったなんて、三枝ちゃんの笑顔から誰が想像するでしょうか。
心の奥に封じていた過去と向き合うことは辛い部分もあったと思いますが、どこかで心のリハビリにもなったのではないでしょうか。
お父さんもきっと喜んでいらっしゃると思います。
そして、たくさんの人に生き抜く力を与えてくれたこの「礼状」に感謝です!

ぴこ: 2011年3月 9日 17:20

三枝さんの『礼状』、絶対忘れません!
いろんな感情が込み上げ、三枝さんに対し、私の『礼状』としてコメントをいれさせて貰いました。
最後のお二人の姿(写真)を拝見し、まさしく人生の勝利者だとはっきり見えました! 私もそれなりの人生を歩んで参り、一人娘の為にも恥ずかしくない背中を見せていかなければと思いました。
ありがとうございます。
そして、二日前にこのブログを教えてくれた大切な友人(Sちゃん)ありがとう!Tより

三枝さんの今後の御活躍を陰ながら応援(生意気ですね)させてくださいませ。

季節はずれのサンタクロース: 2011年3月10日 23:43

涙でかすんだ画面に、お二人の写真が見えて来た時は、「サワさん」の美しさにビックリしました。 三年間ありがとうございました。 自分と重なる事も数多くあり、勇気を沢山頂いていました。  1年後、10年後の自分を楽しみに、顔晴ります。  『礼状』の最終章はもちろん、次号も楽しみにしています。  感謝感謝ですぅ、、、。

2児の母: 2011年3月14日 01:21

お疲れ様でした!そしてありがとうございました。
『礼状』に出会えてよかったです。
いつか出会える最終章を楽しみにしつつ・・・。

伝えたいことがたくさんあるのにうまく文章にできません。

緑茶: 2011年3月19日 21:16

三枝さん、そしてお母様これからもどうかお幸せに。本当におきれいなお母様ですね。三枝さんのご活躍見守っていますね。

匿名: 2011年3月21日 14:19

3年間お疲れ様でした。私は去年、宮地さんと神野さんの嫌う自死という形で兄を亡くしました大切な人を亡くす事の瞬間と言うのはなくしてみないとわからないですよね 兄を亡くしてから人の死ということに敏感になりました
どういう形でそれが訪れるのか私は本当に兄を大切にしていたのか自分に問いかける毎日です お父様の死を受け入れて強く生きていらっしゃる神野さん がんばってください

橋田巣箱: 2011年3月27日 09:06

神野さん 何度も何度も読み返しました。そして泣き胸が苦しくなった時もありました。
強いねー 神野さん
ラジオから聞こえてくる神野さん テレビで見る神野さん 公開放送で見る神野さん あの神野さんの何処にこんな強さがあるのか想像できません。
これからもそのバイタリティで頑張って下さい。応援しています。
旅行記と礼状楽しみにしています。

美濃虫: 2011年4月 9日 22:33

初回からずーっと読ませて戴きました。 形は違え其々に似たり寄ったりの

人生を送って来ています。戦争を経験した方々は特に多いと想います。

私も後期高齢者たなりましたが、別の荷物を背負って歩いて来ました。

是非此れからも聴かせて下さい。期待しています。

のりへい。: 2011年5月 1日 20:40

ラジオの三枝さんからは想像できないすごい人生。
ワタシより若いのにいっぱい大変な思いをしてきたんですね。
最初のお父さんのことだけでもすごいのに次も次もあるなんて。
おかあさんの前向きさにも本当に頭がさがります。
ご家族がいつまでもしあわせでありますように。祈ってます。

ソラマメ: 2011年5月14日 17:24

22歳で喪主をされ、私には想像もつかないくらい、精神的に大変だったと思います。でも杉浦のお父様が三枝ちゃんの人形や家族写真を飾られていたと聞き、別れても家族なんだなーと思ってしまいました。涙 涙 涙・・・

グランマー: 2011年5月14日 22:17

今日久しぶりに礼状17回から36回まで一気に読ませていただきました。私自身に辛いことがあって落ち込んでいる日々ですがいつか神野さんのように話せるときがくればと願いつつ読ませていただきました。お母様も神野さんも強くてしっかりご自分を持って前向きでいらしゃる事に私も近づけたらと思いました。毎日ラジオから流れるお声を楽しませていただいてます。

プラチナ: 2011年7月 3日 09:33

自分の過去で、触れられたくないことは誰にでもひとつはあるはず。でも私は親友にすら打ち明けることは一度もありません…。お話を拝読し、たくさんの涙や悲しみ、苦しみ、怒りを強く感じました。自分のことではないことで、何度も何度も翻弄されるのはひどく辛いことです。私も心の奥そこでは、誰かにただ聞いてほしい…でも…心が重いままです。時折、自分が弱ってしまった時に「辛い思いをした分、私には幸せになる権利がある!」と言い聞かせています…神野さんもです。最終章を待っています。

一宮のヨシ君: 2012年1月18日 01:21

遅ればせながら、始めて読ませて頂きました。私も妻と別れ独りで子供育てております。神野さんのお母様の極端に前向きな生き方は、 ともすれ方向を見失いそうな私にも勇気を頂きました。本当にありがとうございます。

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