神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第35回『二つの勘』

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 振り返れば、私は、物心が付いた頃から、いつも大人の顔色を伺って生きていた人生でした。
 心配事が一つも無い家庭生活に、どれだけ憧れた事でしょう・・・。
 この世で一番大切な家族なのに、絶えず心配事が付きまとう生活・・・。
 よく「神経がすり減る」と言いますが、すり減った神経は傷と同じで、皮膚や肉が捲(めく)れて、剥(む)き出しになり、余計に過敏になるのです。
 この痛みが辛いから、これ以上痛くなりたくない一心で、相手の顔色を伺う癖が付いてしまうのです。
 こうして小学生の頃からず~っと社会人になるまで、私は神経が細すぎて、いつも胃痛に苦しんでいました。

 それでも私が明るい性格でいられたのは、いつもどんな時も、決して挫けない、前向きの母が、優しい愛で私を包んでくれたお陰です。
 母は常に私に言い聞かせました。

 「いい?人間、どんなに苦しい事や辛い事の中にも、希望の光は必ず差してくるものよ。

 今は真っ暗でも、光の先まで自分が歩いて行けば、一点の光に出会える。
 もっと前に進めば、一点だった光が一筋の光となり、やがて大きな光に包まれて、暗闇から抜け出せるの。
 だから立ち止まらずに、前に進みなさい」

 当時、私に出来る親孝行は、いつも明るく元気に振舞う事!それしか、脳のない子供には考え付かない、精一杯の母への愛情表現でした。
 思えば母と二人、二人三脚で光を手繰(たぐ)って生きてきたように思います。

 そして、神野の父との生活は、やっと手に入れた幸せでした。


 今でも、父には感謝をしています。
 苛められた事も、泣かされた事もありました。
 でも、だからと言って、受けた恩まで恨みに変えてはいけない・・・。
 感謝と憎しみは種類の違うもの。憎しみが大きいから、感謝は帳消し・・・そんな考え方は人として未熟だと思うのです。
 感謝は感謝、有難いと思う気持ちは、自分が優しくなれる大事な事だと思うのです。

 とは言っても、この後、想像も付かない展開が待っていようとは、人生は本当に分からないものです。

 父は、完全に母と私が邪魔になったようで、仕事から帰って来ても一言も口を利かず、用件だけを広告チラシの裏に箇条書きで書き、食卓机の上に置いてバタバタとお風呂に入って、さっさと寝てしまう。翌朝も、勝手に食事を作り、食べて早朝から出掛けて行く。母の用意した食事には一切手を付けず、同じ屋根の下で暮らしていても、私たちは自分が透明人間になったかのように、まるで無視をされる生活でした。
 この頃から、父は寝床を1階の和室に勝手に移し、母と私は二階、父は一階、同居別居の生活になってしまったのです。
 今思い出しても、なぜここまで嫌われなきゃいけなかったのか、理解に苦しみます。
 結局、父と息子の仲がもっと以前に修復出来ていたなら、父は娘のいるような母と再婚をする必要が無かったのかも知れません。
 悲しいけれど、愛される者には順番があるのです。
 私たちにしてみたら、実の息子に横入りされたような感じになりましたが、父と息子の関係から見たら、私と母が横入りになってしまったのでしょうね。
 恋愛でもそうですが、いくら相手を想っても、片想いでは幸せになれません。ましてや、相手にかけがえのない愛おしい人が居たのなら、邪魔以外の何者でもありません。

 笑いの無い生活・・・。
 私には「家庭円満」というのが、本当に縁の薄いものです。また、顔色を伺って、息を潜める生活に逆戻りです。

 そして、ある日の事でした。
 昼間、母が一人で家に居ると、玄関のチャイムが鳴ったのです。
 インターホンに出ると、

 「山田さんのお宅ですか?」と男性が言うのです。

 山田さんは、お向いのお宅。
 しかも表札はデカデカと通行人なら誰でも気づく程の大きな字が掲げてあります。しかも我が家の表札も嫌でも目に入る位置にあります。それを間違えるなんて。

 変だ!

 ピンと来た母は「お向いですよ」と言った後、すぐに二階に上がり、窓からお向いを見ました。
 すると男は山田さんのお宅に行かずに、車に乗り込みました。そして、車は発進せず、ず~っと止まっているのです。

 母は、全てを把握しました。
 今の男は、父が雇った興信所の人間で、母が家に居るかを確かめたのです。
 そして家の前で張り込み、母が外出したら跡をつけて、昼間一人で居る母の行動を調べる。
 なぜこんな事をするのか?
 母にはすぐに分かりました。息子が一緒に暮らそうと言ってくれている。その為には私たちと別れる必要がある。しかし、自分の一方的な思いでは慰謝料を払わなくてはいけなくなる。そうならないためには、私たち側に落ち度がある、別れる為の理由が必要となる。張り込みを付ければ、何か一つくらい理由にこじつけられそうなネタがあがるのではないか・・・?そう考えての事。

 「山田さんのお宅ですか?」の一言で、母がここまで読むのも凄いものですが、これが当たっていたのですから驚きです。

 三時間ほど経ち、昼もとうに過ぎた頃だったので、じゃあ行くか~と、母は外に出て行きました。
 車の中で男は口を開けて寝ていました。
 見ると、助手席に無造作に置かれた書類の中に、母の顔写真がありました。

 「ほらね(笑)」

 コンコン!母は運転席の窓ガラスを叩きました。

 すると目を覚ました男、張り込む相手が目の前に居るので慌てふためいてドギマギしています。
 窓を開けるように言うと、母はおにぎりを差し入れ、「あなたも飲まず食わずで大変ね。私は今日は何処にも行かないから、さあ、おにぎりでも食べて、安心してお帰りなさい。ご苦労さま。。。あっ、そうそう、それとあなた、プロならもう少し頭を使った方がいいわよ」
 男は猛スピードで走り去って行きました。
 「やれやれ~こんな情けない生活をするために、今まで苦労をして来た訳じゃないのに・・・」


 当然、興信所から報告を受けるはずの父が、その日どんな様子で家に帰って来るのか???
 申し訳無かった!などと詫びる筈はなく、体裁の悪さは、逆切れという行動となり、不機嫌のお面でも付けてきたかのような顔で帰ってきました。

 二人が結婚する時、父は田舎の出の自分にとって、垢抜けた母は、これまで自分の人生で出会ったことのない美人で聡明な女性で、一気に心を奪われたと言っていました。
 ところがこの時点では、その聡明さも、馬鹿にされたような、腹立たしい限りの生意気な女に思えた事でしょう。

 その日を境に、父の行動はますます遠慮が無くなり、夕御飯も何処で誰と食べて来ているのやら、帰って来るのは、お風呂に入って寝るだけの為、顔を合わせても四六時中、不機嫌を出しまくって、近付けませんでした。

 新築の立派な家。誰が見ても幸せに違いないと思う家なのに、家の中はため息ばかり。


 まいったな・・・。
 私が母に再婚を勧めたから、母はまた苦労を背負ってしまった・・・。
 私の長所は、人をみんな良い人だと思うところ。私の短所は人をすぐに信用するところ。

 今回は短所の方が出てしまったのか?

 息の詰まるような日々が続く中、母がずっと私に言わずにきた事を、初めて話してきました。
 実は、再婚が決まってすぐの頃、品の無い年配の女の人から乱暴な電話が入ったことがあったと言うのです。
 内容は、簡単に話せば、それまで父と付き合っていたらしい人が、捨てられた嫉妬と恨みで、母を罵(ののし)ったというものです。
 先にも書いた通り、父にとって母は、今まで出会った事のない都会的な女性で、着物も似合う、歌も上手い、明るくて、前向きで、美人。そんな高嶺の花に一気に心を奪われてしまったのです。それで、それまで付き合っていたオバサンをバッサリ切ったのでしょう。
 電話口で「出刃包丁を持って、殺しに行ってやる~!」と怒鳴られたそうです。

 そんな事があったとは・・・。
 ただ、その時は、父の事を悪くは思わなかったと言うのです。
 それは、女性として魅力の無かったその人自身のせいで、むしろ再婚相手に電話してくる図々しさに、父を気の毒に思えたそうなのです。
 ところが、今、家庭がこうなってみると、あの女性があそこまで嫉妬に怒り狂う程、父が惨(むご)い捨て方をしたのではないか?と思えると言うのです。思いやりの無い別れ方。

 父は、昔ながらの男尊女卑の考え方がある人でした。その父にとって、母の賢さは気に入らなかったと思います。
 父の子供のような不機嫌な態度に、土下座して謝るわけでもなく、ご機嫌を取る訳でもない母を「馬鹿にしやがって!」と憎たらしく思っていたと思います。
 でも、常に女より上に立っていたい人。母はピンと来たのです。
 自分が上に立てる女の人が居る!

 「まさか・・・。いっくら何でもそれは無いと思うよ。」そう言う私に、
 「いや、夜帰って来た時、髪が乱れている時がある。
  私に興信所を付けたのは、自分に心当たりがあるから、思いついたのだと思う。
 これが本当だったら、こんな馬鹿げた生活は人生の無駄だわ。
 一生に一回しかない人生を、生活費の為に我慢するなんて、意味がない。
 お金なら自分で身を粉にして稼げばいい」

 最初の夫には、お酒とお金で苦労させられ、二番目の夫には、まさか...オ・ン・ナですか?

 これは致命的です。
 頑張りやで、どんな苦労も乗り越え、前向きな母ですが、いつも毅然とした人だけに、プライドを傷付けられる我慢は絶対しないはずです。
 これが的中したら、この生活も、この家も、全て捨ててしまうでしょう・・・。
 私にしてみたら、息の詰まるような暗い生活でも、新築の御殿のようなこの家は、捨てがたいものがあります。
 ああ~どうか最悪の結果が出ませんように・・・。

 それから数週間後、興信所からの報告が届きました。


【写真】
保育園に通っていた頃の私です。この頃が一番気苦労がなくていいですね。
神野三枝 プロフィール
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コメント

奇跡の復活: 2011年2月 7日 10:31

人を思いやることと、人の為にやること。時として一致しないのが人生ですね。人それぞれに相性があって、それが合致するのは奇跡。いわゆる“縁”とうものは、簡単には手に入らないものなのかもしれません。ただ、幸せの基準は自分で決められるのも事実。何をもって幸せなのかを深く考えられる人には憧れます。

銀の皇帝: 2011年2月 7日 13:19

こんな男性が世の中にいるんですね・・・・しかし、男女の性質の違いを理解すれば、こういうトラブルは防げると思うのです。人のため、相手のため、などというのは自己満足に過ぎません・・・・三枝さんは、2度目の結婚こそが幸せと思われていたようですが、お母さんは、そう思っていなかったかも知れませんよ。(三枝さんの自己満足)幸せの基準は、人それぞれ「過去オール肯定」でいかなければ。お母さんも頼ることをしていれば、良かったかもしれませんね。

たっちょん: 2011年2月10日 14:54

お父様のとられた行動を読んでいるとお母様や神野さんが毎日どんな気持ちで暮らしていたのかと切なくなりました。
人の気持ちってこんなに簡単に変わるんだと、ただただびっくりです。
そしてお母様と神野さんの今後が気になります。
内容を読んでからあどけない笑顔の写真を改めて見ると涙が出そうになりました。

のりうつぎ: 2011年2月10日 22:14

第35回『二つの勘』の評判を聞き付け、一読しました。今回ここまで公表したくなったのは、素直に受け入れることが出来たからでしょうね。多分普通の人々は、裁くのが得意なので、いろいろ慰めの言葉をかけてくれるでしょうが、あなたの真意は違うのだろうと思っています。人を愛する事の意味が、分かってきたのだと感じました。僕も、愛とは何かと悩んだ青春時代に、E.フロムの「愛するとは、決意することである」の言葉に出会ったことを思い出しました。

けいちゃん: 2011年2月16日 10:54

「聡明」「美人」、憧れ、自慢だった全ての長所が、気持ちの変化で苛立ちや憎しみにまで変わっていく…。そんな耐え難い現実と向き合い、ある程度の期間我慢できたのも、これまでの人生の苦労があったからなのだろうと思います。
でももうそろそろ、ハッピーストーリーを願わずにはいられません!

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