神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第34回『孝行』

20110103jinno_01.jpg
 優しさが裏目に出てしまった悲しみはありましたけど、神野の父を嫌いにはなりませんでした。

 私は、家族がバラバラになる事の切なさ、辛さを身を持って経験している人間です。
 神野の父が生きてきた道のりを考えれば、ようやく息子と再会できた喜びは、何物にも代え難い幸せである事は理解できます。
 仮にあの時、父が「わかりました。息子夫婦と頻繁に会うのをやめましょう」と言っていたとします。
 おそらく、私も母も「わかってくれたなら嬉しいわ」程度にしか理解しなかったと思うのです。
 でも、父の心の中には、本心を押し殺して私たちに合わせた心の歪(ひず)みが出来、悲しみと残念が生涯にわたって影を落としたと思うのです。
 あれだけ優しかった父が、急に敵意を露わにしたという事は、それだけ実の息子への親心が深いもので、譲れない、かけがえのない存在であるという事です。
 そう思うと、返って父を悲しませずに、本心をぶつけて貰って良かったと思います。

 母と私が、断絶した父息子(おやこ)の仲を取り持とうとしたのは、偏(ひとえ)に恩返しの気持ち、ただ純粋にこれだけでした事です。
 でも、父を誰かに取られるかもしれないと心配をしなかったという事は、父に対して自信があったのでしょう。
 私たち以上に父が大事に思う存在があるわけない、という自信です。
 傲慢だったのかもしれません。
 物事は、好意でした事でも、徒(あだ)になる事はいくらでもあります。
 そんな時、「この、わからず屋!」「偏屈な人間だ!」「恩を仇(あだ)で返しやがって!」と相手を恨むものです。
 しかし、その中に、自分の失敗は無かったか?
 自分にも落ち度があったんじゃないか?と考えれば、好意は仇とならず、より相手を思いやれるヒントを見つける事が出来ます。

 『仇は情け』という言葉があります。
 ひどい仕打ちが励みとなって、かえってよい結果になるという意味です。
 私の場合は、父の心の一番敏感な部分を知って、もっと孝行をして、新しい家族となる大きな決断をしてくれた父に、私なりの幸せをあげられたら良いのではないかと気づきました。
 それ以降、父は息子を家に呼ぶ事は無く、外で会っていたようです。
 自分はどうであれ、長年断絶していた父息子の縁が復縁した事は、本当に良かったです。 

 さて、こうしている間にも、私には片時も頭から離れない心配事が、いつもありました。 

 別れて、今は一人で生きている、もう一人の父の事です。

 誤解していただきたくないのは、私が生みの父親を今もなお慕い続け、大事に思っており、神野の父より大切な存在だと思っている、と勘違いして欲しく無い事です。
 生みの父も、神野の父も、私にとっては同じ父親。
 どちらが上で、どちらが下などという区別は、まったくありません。
 人は、それでも、「本当は実の父親の方が大事でしょ? だって血が繋がっているんだもの」と言います。
 残念ながら、答えは「NO」。
 私に言わせたら、血なんて言うのは、深い結びつきを表現するのに都合良く使っている言葉なだけで、親子という結びつきが、特別な物であると区別したいが為に美しく使っている言葉です。
 血は繋がっていなくても、情が通う事によって、血を超える愛情は存在するものです。 

 この頃の私の心境を分かりやすく表わすと、『危機一髪、風船ゲーム』です。
 円形の鉄道模型の線路に置かれた大きな風船に向かって走って行く先端に針のついた列車。この列車が風船を割らないように、列車が近付いたら、風船に駆け寄り、風船を持ち上げて危機を逃れ、列車が一周している間に、離れた場所で問題に挑戦するゲーム。昔、テレビのバラエティー番組でやっていた、あのゲームです。
 常日頃は、神野家の幸せを願い、神野の父を大切にし(これがゲームで言う、問題に挑戦している場面です)、片や頭の中には、常に生みの父親がキチンと生きているか? 心配で(ゲームの風船です)、風船が破裂しないように、いつもいつも気にしている、
 これが当時の私の心境です。
 定期的に風船を持ち上げる、つまり、たまには生みの父の所に行って、孝行をしてあげないと、父が風船のように破裂してしまうのではないかと思う心配が、常に頭にありました。

 私は、OLになった時から、2つのお金を貯め始めました。
 1つは、親孝行らしい事を何もせぬまま、別れてしまった父を、旅行に連れて行きたい為のお金。
 もう一つは、一人で暮らす父に万が一の事があった時に、お葬式を出してあげる為のお金です。
 普通預金の口座に貯めた50万円を絶対に切らさないようにしていました。これが万が一の時の為のお金でした。

 そして、それ以外にもようやくお金が貯まったので、生み育てて貰った父に恩返しがしたくて、温泉旅館に誘いました。
 一度四日市まで様子を見に行って以来、一回も連絡をしていないので、誘う電話さえも勇気がいるものでした。
 父は電話の向こうで嬉しそうな声で承諾してくれました。

 母には旅行に行く事を告げませんでした。
 母はもはや神野の父の妻。知らない方が良い事もあります・・・。

 私は、三重県の志摩にある『石亭』という旅館に予約を入れました。
 名古屋から私が近鉄電車に乗って、父が同じ電車に四日市から乗り込んで、志摩まで行きました。
 ホームに立っていた久しぶりに見る父は、見慣れた濃紺の縦縞のスーツを着ていました。 

 この様子から、洋服1枚も新調していない、質素な生活を送っている事が分かりました。 

 一緒に暮らしていた時よりも、少し痩せて、すこし老けたようにも見えました。
 この「痩せ」と「老け」が、父に寂しい思いをさせている自責の念に駆られました。
 あっちの父も、こっちの父も、同時に大事にできたらいいに・・・。気持ちは同時進行できても、体は1つ。切ないところでした。

 旅館は、とても立派で、父はびっくりしていました。
 部屋に通して頂くと、専用の館内着に着替えるのが、こちらの旅館のシステムでした。私は小豆色の、父は青色の館内着に着替え、部屋の冷蔵庫の中から、ビールを出し、乾杯をしました。

 父は、「今日はどうもありがとう。お世話になります」と言いました。

 生まれてからずっとお世話になってきた父に、お世話になります、と言われる日が来るとは・・・。
 少し寂しい気持ちになりました。
 父と別れてから、心の中でずっと温めてきた孝行でしたが、実現してみて、それが切ない、親からの巣立ちである寂しさを秘めている事を知りました。

 この旅行には、私の孝行だけでなく、父の夢を叶えてあげる思いもありました。
 私がまだ小さかった頃、父がこんな事を言ったのです。

 「娘が成人を過ぎて、お酒が飲めるようになったら、娘と一緒にお酒を飲んでみたいな~。どんな味なんだろうな・・・」

 結局、私が18歳の時に父とは別れたので、この夢は叶わなかったのでした。
 だから、娘とお酒を飲む感触を味わわせてあげたい。そんな思いもこの旅行には含まれていたのでした。

 夕食は大ホールで伊勢エビを頂き、賑やかなショーを見て、楽しい夜でした。会話は一方的に私だけが喋り続けました。理由は1つ。母の事を聞かれないように、父に喋る隙を与えない為です。
 私は、会社の事、お友達の事、仕事の内容など、自分の話をし続けました。
 しかし、今、何処に誰と住んでいて、どんな暮らしをしているかは一切話しませんでした。
 嘘もつきたくなかったし、本当の事を言って、父を寂しい気持ちにさせる事も嫌だったからです。
 父が想像で、私は母と二人頑張って生きて行ってくれていると思えば、それはそれで良いと思いました。

 父は酔っ払いました。
 私の中の、昔の酔った父のトラウマが見え隠れしました。
 酔っぱらうまで、今夜を楽しいと感じてくれているのか・・・?
 それとも、相変わらず未(いま)だにこんな風に酔うまで飲んでいるのか・・・? 私の中の心配事は減りそうもないな・・・。と思いながら夜は更けて行きました。

 次の日の朝。
 チェックアウトをする時、「いいから、いいから」と父がフロントに行きました。
 旅館の代金は事前に私が旅行会社に支払っていましたので、父に負担を掛ける事は、飲んだお酒代だけ。父に娘の前で、格好良いところも見させてあげなきゃな、と思い、お願いをしました。
 すると、フロントでは、宿泊代金も全て含んだ総合計の明細書を見せられたようで、その瞬間の父の「えっ!!」という驚き困った顔が、目に飛び込んできました。
 私は慌ててフロントの方に、すでに支払い済みの件を話し、事は治まりましたが、今でもあの驚いた父の顔が忘れられません。
 昔の父はいつも財布にタンマリとお札を入れて豪遊していた人でした。
 その父が、あれだけ怯(ひる)んだと言う事は、その金額がお財布に入っていなかったという事でしょう。

 ああ~父も変わったな・・・。

 父には一瞬恥をかかせてしまいました。この旅での私の反省点です。

20110103jinno_02.jpg
 まだ午前中です。父はこれからどこか観光にでも行くと思っていたのでしょう。私が、駅に向かうと知ると、少々寂しそうな顔をしました。
 でも私は、これ以上父と時間を過ごしたら、そのうちに母の事を聞かれるんじゃないかと怖くて、冷たいように感じたかもしれませんが、帰りの電車に乗りました。
 行きと同じように父が四日市で降りて、私は名古屋まで。
 最後、電車を降りて行く父が言いました。

 「三枝さん、ありがとう」

 父には、幼い頃から、みぃちゃんと呼ばれていました。この他人行儀な言われ方は、父にとって、私を大人と認めた敬意の言葉だったのでしょうが、私には、とてもとても距離を置かれたような一抹の寂しさがありました。

 それから私は、名古屋まで、幼い頃からのさまざまな思い出と、苦しかった最悪の時期の出来事、今日こうして父と旅行ができ、最後「三枝さん、ありがとう」と父に言われて別れた事、全てが悲しくて、やりきれなくて、そして、父に対して、寂しい思いをさせてごめんなさい、との思いが交錯して名古屋まで溢れる涙が止まりませんでした。

 でも、これで、1つ孝行ができた。これで良かったのだと思う・・・。
 そう自分を慰めました。

 その後、父にはもう一度だけ、四日市に会いに行きましたが、まさか、今回のこの旅行が、生きている父と会うのが、最後の2回だったとは、この時思いもし無かった事です・・・。

【写真上】この旅行の写真です。おそろいの館内着を着て父と。
【写真下】帰りの電車を待つホームにて、父と。
神野三枝 プロフィール
<< 前の記事 次の記事 >>
コメント

いてまえ: 2011年1月 3日 12:34

新年初めての、オピリーナ、見せて頂きました。今回の内容にもあった貯金、僕にも無駄使いが凄く多いので、神野さんがとてもしっかりとした娘さんだなと感心しました。

銀の皇帝: 2011年1月 3日 13:20

三枝さんの「どちらも父親。上下の差はない・・・」と言われていましたが、僕には納得できません。というのは、母の母(祖母)は後妻で、母しか産んでおらず、他の兄弟4人とは異母兄弟です。病気で次のステージに行ったとき、23:20に亡くなったのですが、伯父は何を急いだのか、日付が変わり、その夕方には通夜でした。「自分のいた家にも帰ることは、あまりできず、棺に何も持たせられなかった、」と母は未だに悔やんでいます。「きっと、兄ちゃんは血が繋がっていないからと・・・」

奇跡の復活: 2011年1月 3日 13:31

人の縁というのは、様々な形がありますが、血縁もその一つ。切っても切れない縁であるはずなのに、ふとしたきっかけで、他人以上に憎しみあうこともありますね。ただ、紆余曲折あっても、元通りになりやすいのも事実。意地を張り合わず、前向きに対処していきたいですよね。

バンバン爺: 2011年1月 3日 17:11

夫婦が離婚という経過を辿った場合、殆どが絶縁状態となります。
そして子供はどちらに引き取られるにしろ、淋しい生活を迎えますよね。
三枝さんの様なケースは分別有る年齢で有ったにせよ珍しいと思います。
夫々の父親の立場に自分が立ったら、どうするだろうと考えさせられます。

あけおめ太郎: 2011年1月 4日 06:18

どんどん成長していく娘と、立ち止まったままの自分。
そんなことを、嬉しくも寂しい気持ちでお父様は感じていたのでしょうね。
ただ、お互いの生活を慮り、色々な思いを伝えず飲み込んでいる、、、、。そんなお父様と神野さんの空気が、痛いくらい伝わってきます。

子供から見た親というのは、すごく偉大で大人で、、、なんて思いますが、それは幻想か、あるいは親が演じてくれている場合が多いと僕は思います。子供が親離れをしたとき、親は演技をやめて、等身大に戻ると思うんです。その姿を、子供の目には寂しく映るけれども、その時「孝行」しなければ!と思うんでしょうね。

お父様も、そう何度もないだろう神野さんとの旅行を、噛み締めながら、楽しまれたと思います。

バードちゃん: 2011年1月 4日 18:07

ここまで優しくなれるのかと、三枝ちゃんを尊敬してしまいました。
複雑な環境にいる子供は、ともすれば被害妄想にかられて親を恨むことしかできなくなるものですが、三枝ちゃんは自分が出来うる精一杯で親孝行をしましたね。今もお母様には、何くれとなく孝行してみえますし。
「健気」その一言に尽きます。でも、それは明るさを伴っているから、ちっとも暗さを感じさせないのです。天性の明るさと素直な心、生きていく上で最も必要な物、見習います。身体大切にしてね!!

橋田巣箱: 2011年1月 5日 09:44

三枝ちゃん 本当に親孝行出来て良かったですね。
今この世に居るのは両親のお陰です。
一人で生まれてきたのではありません。一人で大きくなったのでもありません。
親孝行したい時に親は無し、したくないのに親が居るなんて笑い話にもなりません。
親さんの見える皆さん今のうちですよ。

けいちゃん: 2011年1月 7日 20:06

お父さんに宿泊の明細を見られてしまったことを、今でも心残りにしている三枝ちゃんに、胸が熱くなりました。
楽しい時間を過ごした時ほど、帰りの時間はいろんな思いが交錯して辛かったでしょう。三枝ちゃんもお父さんも…。
洋服やバッグ、欲しいものがいっぱいの時期に、お父さん孝行にお金を使ったこと、人生の中の大きな財産になったと思います。

たっちょん: 2011年1月13日 11:11

まだ20才を少し過ぎた女の子が抱えるには、とても大きな問題ばかりでしたね。お父様との旅行行けて良かったです。旅行そのものも、とても親孝行な事ですが、それよりも日々お父様の事を心にとめ貯金をしていた(考えていた)という事が、何よりも親孝行ですね!
親と過ごせる時間は無限大ではないと痛感しています。
父に会いたくなりました。

コメントを投稿