神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第33回『お人好し』

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 「行ってきまーす」

 「気を付けてね。今日も一日頑張ってね。行ってらっしゃ~い」
 母に見送られ、私は神野の父と二人で出勤。
 父娘(おやこ)そろってバスに乗り、地下鉄に乗って、私は会社に、父はさらに電車を乗り継いで、自分の会社へと出勤します。
 何て、ほのぼのとした家族の光景なんでしょう。
 こう言うのを、温かい家族と言うのだろうな~と、初めて体験する、ささやかな幸せを噛み締める心地良さ・・・。

 母もまた、初めての専業主婦に、心地良さを感じていたと思います。
 長年苦労してきた働き癖が染みついて、手を抜くと言う事を知らず、家の中はいつも美しく整頓され、完璧に主婦業をこなしていました。

 仕事が終わって家に帰ると、食卓には美味しい夕飯が並べられ、母が一人で家にいる時間も、家族の為に一生懸命働いていた様子が手に取るように伝わってきました。

 たまには仕事帰りに外で待ち合わせ、タウン誌で調べておいたお店で外食をする・・・なんて楽しみも味わいました。
 母が夜、用事のある時は、神野の父と二人で外食もしました。これまでの生活の中で、父親と二人で待ち合わせをして食事をするという経験の無かった私にとって、こう言う時、何を話したらいいのか?少々、緊張をした事も覚えています。

 とにかく、新しい家族の生活は、三人が三人とも、この幸せを大切にしたいという思いと、大切だからこそお互いを気遣う、ほど良い距離感と言うのを意識的に保っていたと思います。
 家族になったからと言って、図々しくなったりはしない・・・。それを自(おの)ずと心得ていたような気がします。

 では、全てが不愉快なく生活ができたか? と言えば、そうではない部分もあります。
 参考までに書きますと、当時私は21歳。遊びたい盛りです。
 しかし、神野の父は、何をするのも家族一緒を当たり前と考えていた人でしたので、週末も私の個人的な予定は入れられず、友だちと遊びに行く事も、父の許しを貰わなければなりませんでした。
 それどころか、父はようやく手に入れた家族の幸せを楽しむように、毎週末、ドライブや行楽の予定を立てるものですから、私が友だちと出掛ける暇もありませんでした。
 しかし、ここで私が我を通そうとすれば、父を悲しませる事になるし、母が間に入って気苦労をする事が分かるので、ここはグッと我慢。
こんなに幸せにして貰って、我儘(わがまま)を言ったら罰が当たる、と自分に言い聞かせていました。

 我が家は夜9時になると、父が家中の鍵を掛け、セキュリティーシステムを作動させていました。ですから、私が9時以降に帰宅をすると、鍵をあけた瞬間、けたたましい警戒サイレンが鳴り響くのです。
 若い娘だからこそ、父は心配して、門限を9時に決めていたのですが、若い娘だからこそ、その門限が重苦しく感じたものです。でも、ここもグッと我慢。
 こんなに幸せにして貰って、我儘を言ったら罰が当たる、と自分に言い聞かせていました。

 こんな事もありました。
 父は母より16歳も年上でした。私とは40歳も年が離れていました。
 一般的にみれば、親子以上の年の差があります。
 それは母の再婚を考えた時、前の父のように母と似たような年齢の人ではなく、もっと大きな器で母を包んでくれる人が良かったので、あえて年の差の大きな人を、と考えたからです。
 もちろん神野の父は、その通りの人で、大きな器で、私たち母娘(おやこ)を包んでくれました。
 しかし、父と私、育ってきた時代が違いすぎるのも否めませんでした。
 私が自分のゴミを袋にまとめて出します。ところが、捨てたはずのブティックの紙袋や包装紙が綺麗にたたんで、キッチンの隙間の紙袋をまとめていた場所に置いてあるのです。    
 おかしいな~?確かに捨てたはずなのに・・・。
 何度も同じ事があり、ようやく分かりました。
 私の捨てたゴミを、父が袋をほどいて、中身を全部出して、一つ一つチェックしていたのです。
 父は戦争を経験した、物のない時代に生きてきた人。まだ使える物を捨てる事が勿体無くて、私のゴミの中から、まだ使える物を抜いていたのです。
 父に悪気が無い事はよく分かっています。しかし、21歳の娘が、自分のゴミをさばくられるのは、正直、裸を見られるのと同じぐらいの不愉快さがあるものです。
 もちろん、私は、自分が一言言えばギクシャクする事は分かっていたので、ここもグッと我慢。
 どんな事も、こんなに幸せにして貰って、我儘を言ったら罰が当たる、と自分に言い聞かせていました。

 これらの事で学んだのは、人間、年の離れた大きな器の相手なら、喧嘩にもならず、優しく大きな愛で包んでくれるだろう~と思っても、年が離れすぎていると、生きてきた時代環境が違いすぎて、常識が大きく異なると言う事です。
 余談になりますが、結婚や、再婚を考えている方にアドバイスをさせていただくとしたら、お相手の器の大きさも大事ですが、常識が自分と同じであるか?を見極める事も必要だと思います。これは、母が年の離れた相手と再婚して身を持って知った事ですが、世代の違いは、常識の違いが明らかにあります。よく、物の価値観が同じである事を重要視する事がありますが、価値の中に、常識、非常識のジャッジが自分と合っているかを見るのも、大事な事だと思います。

 とは言え、そんな少々の我慢は私にとっては、高校時代に実の父親が自殺するのを止めようと見張っていた、あの悪夢のような戦いや、当時の悲惨な出来事に比べたら、屁でもない事(笑)。神野の父には、本当に良くして貰い、感謝の気持ち以外、何物もありません。          
 そして、私以上に、母もまた、神野の父には感謝の気持ちで一杯だったようで、恩返しを考えていたようでした。そして、こんな穏やかな生活が落ち着いてきた頃、母が私に相談を持ちかけて来たのです。

 「あなたに、一つ相談があるんだけど・・・」

 「えっ?なあに?」

 「神ちゃんに恩返しをしたいと思っているの。
 私たち母娘が、今、こんなに幸せにして貰えたのは、全部、神ちゃんのおかげ。
 その神ちゃんにとって、何が幸せかと考えたら、私たちが神ちゃんを大切にする事もそうだけど、、もう一つ・・・。
 あなたも知っている通り、神ちゃんには娘さんと、息子さんがいるでしょ?
 娘さんは別れた奥さんの方について行ったそうで、それ以来連絡も取っていないそうだけど、息子さんとはもう何年も前に大喧嘩をして、それから親子の縁を切った形になってしまって、ずっと音信不通になってしまっているでしょ。
 私たちの結婚式にもいらっしゃらなかったから、よほどの溝が出来てしまっていると思うの。
 神ちゃんは、口では、もう息子の事は知らん!と言っているけど、親として、本心は、心配でならないし、寂しいと思うの。
 男同士だから、歩み寄る事も出来なかったと思うのね。
 母さんは、私たちが幸せにして貰った分、神ちゃんにも幸せになって貰いたいの。
 そこで、考えたんだけど、息子さんご夫婦をこの家にご招待して、仲直りができるように取り持ってあげたらどうかと思うの。

 自分たちさえ幸せならそれで良い、というのは良くないと思うの。

 ただ、それにはあなたの協力も必要だし、あなたが嫌だと言うなら叶わない話なんだけどね。

 どう思う?」

 私は、素直に思いました。
 「自分たちさえ幸せならそれで良い、とは思わない。
 私たちを幸せにしてくれた神ちゃんの喜ぶ顔が見たい!
 お母さん、とても良い考えだと思う」

 母は、「良かった。きっと、あなたはそう言うと思ったわ」と、嬉しそうでした。

 それから母は、神野の父に、私たちの考えを話しました。
 最初はびっくりしていたようでしたが、やはり『父親』。
 出来る事なら、実の息子と仲直りをしたいと思う気持ちは本心。しかし、息子が受け入れてくれ無いかもしれないという不安も本音。
 そんな父に母は、「いいじゃない~。私たちの結婚の報告と、家を新築した報告で、私が息子さんに会いたがっていると、私のせいにして、思い切って電話を掛けてみてよ」

 父は複雑な心境で連絡をしたと思います。

 すると、こちらの心配をよそに、息子さんは我が家へ来て下さる事になったのです。
 父は、表向きには、あいつとは縁を切ったんだから、と言いながら、内心は少し嬉しそうでした。

 今日は息子さんとお嫁さんが我が家へやって来る日。

 神野の父の息子と言う事は、私にとっては、戸籍上、義理の兄にあたるわけで、いきなりお兄さんが出来ると言うのも、人生は予測できない事態が突如として訪れるものです。
 面白い・・・。

 さて、お兄さんとは一体どんな人なんだろう?
 物凄く偏屈で、イヤ~な感じの人だったらどうしよう。あれこれ想像していても仕方がない。
 私は1つだけ、心に決めました。
 相手に会った瞬間から、『お兄さん!』って呼んでしまおう!
 余程の偏屈者でない限り、15才近くも年の離れた若い娘から、親しみを込めて『お兄さん!』なんて呼ばれたら、嫌な気はしないだろう・・・。神ちゃんの幸せの為だ!ここは一肌脱ぐとするか(笑)~!

 ピンポーン

 「は~い。まあ、よく来て下さいました。さあさあ、上がってください。どうぞ、どうぞ~」

 さすが、長年商売をしてきた母は、このあたりは上手です。
 お兄さん夫婦は、戸惑う間もなく母の巧みな招き入れに、あれよあれよと促され、用意してあった席に座りました。
 私も母の娘、「お兄さん、妹になりました三枝です。お兄さんにお会いできて、嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします」と、これまた明るく元気に可愛らしく、嫌な思いはさせなかったと思います。
 すると母が、「まあまあ、堅い話は無しにして、お食事にしましょう。大したものは出来ませんが、どうぞ、どうぞ召し上がって下さいね~」と、結構大した料理を振舞いました。
 「いや~ん、飲める口ですか?もうおひとつ、どうぞ、どうぞ」完璧に母のペースで、お兄さんも、神野の父も、長年いがみ合ってきた話を、向かい合ってぶり返す隙間も無いほどでした。

 『わだかまり』とは、『蟠り』と書きます。
 『蟠る』というのは、ヘビがトグロを巻く、という意味があり、心の中がさっぱりしない、引っ掛かる、という意味を表します。
 トグロを巻く、渦状に曲がる、というような真っ直ぐでない、屈折した心の状態を言っているのですが、まさにこの時、とぐろが真っ直ぐになったような感じでした。
 蟠(わだかま)りが解けるとは、よく言ったものです。

 「また、いつでも、遊びに来て下さいね」
 「お兄さん、さようなら~」

 時間は楽しく過ぎて、お兄さん夫婦は、にこやかに帰って行かれました。

 神野の父も、とても嬉しそうでした。母も私も、少しだけ恩返しができたようで、嬉しく思いました。

 次の週です。
 神野の父は、余程嬉しかったのか、またお兄さん夫婦を我が家に呼び、楽しくお酒を酌み交わし、長年の隔たりを埋めるかのように、幸せを味わっているように見え、とても微笑ましく感じられました。
 「よし、来週は、信州にドライブにでも行くか!」父の提案に、お兄さん夫婦も快く承諾してくれました。
 こうして、毎週毎週、お兄さん夫婦は我が家へ遊びに来るようになりました。
 それは、とても幸せな事なのですが、あまりにも毎週となると、少々気疲れもしてくるものです。
 お兄さんは30歳半ばを過ぎており、会社を辞めて、自分で事業を起こしたいと考えていました。
 父親にその資金提供をお願いし始めていたので、こちらに毎週でも顔を出して、父親のご機嫌を取りたい気持ちだったのでしょう。
 父もまた、自分を頼って来る息子を可愛いと思うのは当然でしょうし、力になってやりたいと思うのも分かります。
 ただ、別にお兄さん夫婦が嫌な訳ではないのですが、毎週お客さんが来ると言うのは、準備する側にとっては大変です。たまには、のんびりと静かに過ごしたい気持ちにもなります。こんな事を考えてはいけないと分かりながら、それでもそう思ってしまうほど、あまりにも毎週でした。

 「お母さん、常識ってものがあると思わない?
 私だって、週末、お友達と出掛けたいし、のんびりと過ごしたい時もあるよ。
 お兄さんは、事業を起こしたいから、そのお金を神ちゃんに出してもらおうと必死なんだろうけど、お母さんと神ちゃんは結婚して間が無いんだから、二人だけの時間って言うのも必要だとお兄さんは思わないのかしら?」

 母も私と同じ思いを感じていたようで、これでは、我が家の幸せのバランスが崩れてしまうと考えたのです。
 そこで、父に、月に一回とか、せめて一週おきとか、少しだけ家族だけの時間も持ったらどうかと、提案してみたのです。するとです。

 「息子が来たいと言っているのを、断るなんてできん! そもそもアイツらに此処へ来いと誘ったのは、お前たちだろう!」

 それは、今までに聞いた事のない、激しい口調でした。
 そして、私たちに敵意を持った目で睨んだのも、初めての事でした。
 もはや、父の心は実の息子への思いが比重を占め、私たちとは比べられない程、息子が大事な存在になっていたのがわかりました。

 母と私がお人好し過ぎたのでしょうか・・・?

 神野の父は、再び実の息子との親子関係を手に入れた今、もう、他人の私たちはどうでもいいような気になってしまったのでしょうか・・・。

 「お母さん、神ちゃんに幸せになって貰いたいと思った優しさが、仇(あだ)になってしまったみたいだね・・・。
 やはり、血の繋がった息子は可愛いんだね。
 所詮、昨日まで他人だった私たちなんて、実の息子に比べたら、どうでもいい存在なんだね」

 それからというもの、家の中はギクシャクし始め、神野の父は、母にも私にも、以前とは明らかに態度が変わり、あれだけ伝書鳩のように同じ時間に帰って来ていた人が、時間もまちまちになり、言葉もキツクなり、私に対しても細かい事で叱るようになり、夜9時を過ぎると、家の中に入れてもらえなくなりました。
 だらしない娘だと、私の事で母を詰(なじ)り、OLだった私を、女のくせに職業婦人にでもなるつもりかと、だんだん世代のギャップが露骨に見え始めました。
 父は、理由は何であれ、息子を気嫌いされた怒りが治まらないのです。
 こうなると、完全に昔人間の頑固さが露呈して、私たちのやる事なす事に文句の言い通しでした。
 私たちが美味しいと言えば、不味いと言い、面白いと言えば、面白くないと言い、どうご機嫌をとっても、頑固という以外にたとえようがありませんでした。

 父は、私たちの事を息子に話したようで、息子からしてみたら、父親の財産を持っていかれる私たちの存在が邪魔に思えたのでしょう。
 陰で父に、「あんな財産狙いに決まっている母娘なんか別れて、自分と一緒に暮らした方が幸せだ!」と、そそのかしていたようでした。
 これは、父が言った言葉なので、実際、お兄さんが本当にそんな事を言っていたかどうかは定かではありませんが、それに近い会話はあったのだろうと思っています。

 あの時、父と息子の仲を取り持つなんて、人の良い事を考えなければ、こんな事にはならなかったのに。取り持って、自分たちが捨てられるハメになるとは。

バカな私たちです・・・。

つくづく、バカだと思います・・・。

お人好しも、いい加減にしろと、思います・・・。

でも私は・・・

自分たちを幸せにしてくれた恩返しをしたい、と純粋な気持ちで父子(おやこ)を仲直りさせた母を・・・・・・


・・・誇りに思っています。


【写真】当時、OL時代の私です。
神野三枝 プロフィール
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コメント

銀の皇帝: 2010年12月 6日 13:57

やはり、血の繋がりです。神ちゃんは、「やっぱり、この人たちは他人」と思っていたはずです。結局は、自分の”息子”がいいに決まっています。なんで、お母さんがそんな風に思っていたか、納得できません。神ちゃんの、深層心理では「他人に財産を渡したくない」と思っていたはず。
神野さんは実父の自殺を止めれるパワーを持っていたのだから、こういう結果は、分かっていたのではないでしょうか?血縁を超えて人類みな幸せになるのは、不可能だと思っています。

バードちゃん: 2010年12月 6日 14:07

「血は水よりも濃い」の典型ですね。子供達と疎遠になっていた時には三枝ちゃん母娘を唯一の味方として、大切に守っていたのに・・・・。
もう一つは、初老にさしかかった男性の偏屈さの典型みたいな言動。
世代や育ちのギャップが、想像以上に大きかったんでしょうね。
財産を狙っていたとしたら、お兄さんとの和解を手助けする訳がないのに、情けない発想ですね。そのときのお母様と三枝ちゃんの心境は察するに余りあるものです。再婚って難しい! 改めて思いました。
器の大きい男性って少ないですね、人生を共にするまで判別できないから、宝くじに当るより確率低いかも・・・・。

奇跡の復活: 2010年12月 6日 14:17

なんとも切ない話ですね。夫婦でも、親子でも、遠慮は要らないといいますが、あくまでも何度もぶつかり合い、それでも修復させてきた歴史があるからだと思います。より深い関係を築くには、時間というものも必要なのかもしれませんね。

もりやん: 2010年12月 6日 20:06

まっすぐに生きて来られた母娘だから、早目に気付く機会に恵まれたんですね、運がいい!
そして神野さんを今でも名乗っているあなたはとても素敵です!

けいちゃん: 2010年12月 9日 20:12

そんな理不尽な…
血がすべて、とは思いたくないけれど、やっぱり血には勝てないのかもしれません。
ゆるゆると表面上のつきあいだけをして傷つかずに生きていく、という今の若者の風潮は、実はとっても理解できる。
こういうことがあるから、再婚なんて考えたくもないんです。

勘違い平行棒: 2010年12月13日 02:56

はぁーっ、せつないお話です。せっかく幸せな家庭生活が始まったのに・・・ハッピーエンドも近いかと思いきや、また何かが?
続きがとても気になります。
21歳の若い盛りに、自分の遊びや門限やプライバシーやいろんなことを“わがまま”と思って我慢したという件りには胸が痛みました。
ゴミの話はかなりキツイです。
この人の為ならどんなことも我慢できるというのは究極の愛情ですね。
そこまで深く愛せるお母様のいらっしゃる神野さんはお幸せです。

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