神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第30回 『けじめ』

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 短大生活も残り3か月。

 岡崎を出てきて間もなく2年。この2年間は、目まぐるしく時が過ぎて行きました。
 辛い事ばかりではありませんでした。
 従弟の家庭教師を経験して、お金を稼ぐ責任を教わり、短大の友人に出会い、テニス同好会に入会し、友人に誘われ生まれて初めてディスコにも行きました。
 コンパも経験しました。
 結婚式場のビデオを撮影するアルバイトを始め、チラシ配り、ティッシュ配り、スキーツアーのパンフレット配り、道路交通量の測量調査のアルバイトも経験しました。
 中でも、交通量調査は印象に残っています。
 丸1日、岐阜のバイパスの一番交通量の多い所で、自家用車、商業車、トラック・・・といった、どの種類の車が、時間帯ごとに何台通過していくかを数えて記録をしていくというアルバイトです。
 丸1日で、バイト料は1万円。当時、1日働いて1万円貰えるアルバイトは、最高級のアルバイトでした。
 友人3人で申し込み、雇い主さんの車に乗せられ、測量ポイントまで行くと、そこにはクーラーも効かないオンボロの車が1台止めてあり、この中で1日測量をするのです。季節は夏、クーラーの効かない社内は軽く35度を超えていたと思います。
 暑いから窓を開けているのですが、排気ガスのスゴイ事、スゴイ事!
 ようやく仕事が終わって友人の家でお風呂に入れて貰った時の極楽加減と言ったらありゃしません。
 3人はお互いの顔を見合って大笑い!

 「ギャッッッ~ハハハ!何それ~!アハハハハ~」

 3人の鼻の穴から、まるで習字の筆のように鼻毛がボサッと出ているのです。
 排気ガスから身を守ろうと鼻毛が伸びていたのです。
 人間の体ってスゴイ!アハハハハ~。

 人間、悩み事、辛い事ばかりと思っても、その道すがらには小さな喜びや、笑い、幸せもあるものです。
 小さな幸せは気付きにくいから見過ごしてしまうのですが、感じる心があれば、実は、毎日ささいな幸せに包まれて生活をしているのです。

 夜、寝る時に目を閉じ、「今日1日、本当に良い事は1つも無かったか?」と、朝からを思い返してみるのです。
 「今日も良い事は無かったな~」
 でも、その1つ1つを考え方、思いようによって、すべて感謝に変える事が出来るのです。
 例えば、道で転んで怪我をした。
 こんな痛いイヤな事も、転んだ時、もし車が来ていたら・・・?
 頭を引かれていたかも知れない。ヒェ~、ゾッとします。いやいや助かった~。良かった良かったこの程度で。
 もしこれが母親だったら・・・?
 私だったから、怪我程度で済んだけれど、年老いた母親だったら、骨折していたかも知れない。ヒェ~、自分で助かった・・・。と転んだ事にさえ、助かった、良かったと思えてしまうのです。

 そうして、1日のすべてを、自分にとって好転的な見方で「ありがたや~ありがたや~」と思えば、今日1日がまんざら悪い1日では無かったと思えるのです。
 物は考えようですね。

 今日は最悪だった!と思う事は、自分の人生に、自分でケチを付けている訳で、大事な人生にケチ付けるバカな自分に気付かなければいけません。

 人生は美しく、豊かでありたいと思いませんか?
 だったら、自分の中の邪気を追い払う事です。
 私が考える邪気とは、「妬(ねた)み、恨(うら)み、僻(ひが)み」です。
 これらには、どうしようもない見苦しさがあって、品がありません。
 品の無い考え方の人間から滲(にじ)み出るのは下品です。
 自ら下品を振り撒いて、自分にケチを付けて歩いてどうするというのでしょう。
 人生は美しく!

 と言っても、当時まだ19歳の私には、こんな風に人生を考える知恵も無く、目の前に繰り広げられる難題に一喜一憂の毎日でありました。

 こうして、昭和61年のお正月が慌ただしくやって来たのです。


 「これ、あなた宛てのが家に届いていたから・・・」

 あっ!

 親類から手渡されたそれは、私に宛てた年賀状でした。私の住所を知らない差出人が、親類の住所にそっと出した年賀状でした。

 私はドキッ!として、それを慌てて隠しました。

 胸がドキドキして緊張しました。そして部屋に一人閉じこもると、隠したその年賀状をおそるおそる取り出し、震える手で読みました。

 それは、父からの年賀状だったのです・・・。

 『三枝さん、お目出度う』

 間違いなく、父の直筆です。見覚えのある角張った癖のある父の字です。

 高校卒業の時に、家業が倒産し、これによって、一家はバラバラの家庭崩壊を迎え、私は父親と別れ、生まれ育った家も手放し、すべてのものを失いました。

 離れて暮らす父を、心の中だけで慕い、また父も一人孤独に耐えながら、生きるのに必死な生活だったと思います。
 親子であるのに、他人以上の距離で生きていかなくてはならないお互いの人生。

 そんな中、思いもよらぬ1通の年賀状が私の元に。

 たった1行『三枝さん、お目出度う』とだけ・・・。
 必要以上の事が何も書かれていない年賀状です。
 でも、私にはわかります。

 元気でいるか?
 泣いていないか?
 幸せに暮らしているか?

 文字にならない父親の気持が、目に見えるように伝わってきました。

 年賀状には、「三枝さん」と書かれています。
 父は、一緒に生活をしていた時、私を「みえちゃん」とか「みぃちゃん」と呼び、父から「三枝さん」と呼ばれたことは一度もありません。

 この距離を感じる呼ばれ方に、父の中で私は、もはや自分の物ではないと覚悟の上、一人の大人として存在している事を感じました。
 寂しいような、くすぐったいような・・・。
 先日父に逢いに行った時、久しぶりに見た私を、父が大人として認めてくれたのでしょうか・・・。
 私は、父の思いに恥じない人間になろうと思いました。

 毎年、いろんな方から年賀状を頂きます。その中で、この父からの年賀状だけは、私にとって生涯で、たった一枚の大切な、年賀状になりました。
 もし、日本に年賀状が無かったら、私は父から手紙を貰うという事は、一生無かったと思います。
 なかなか理由がないと、気持ちを文字にしては、届けにくいものです。
 一年に一度、そんな理由無しで、相手に気持ちを伝えられるのが年賀状です。父にとって、理由無しに、私に親心を届けられる、唯一の手段だと思って出た行動だったのでしょう。

 三枝さん・・・

 もしここに、「三枝ちゃん」と書かれていたら、私の心は迷路をさまよう事になっていたと思います。

 父の中の私は、まだ一緒に生活していた時のままだと思うからです。
 そうしたら、私は娘として、父の思い望む娘の役割をせねばならない訳で、何とか家族が元のさやに納まる努力をしないといけないと考えた事でしょう。しかし、母は母で、新しい人生を歩き始めている。あっちにもこっちにも都合の良い生き方が出来ないと、迷路をさまよってしまっていたと思うのです。

 ところが、父は、私を一人の大人として、一個人として見てくれている。
 もはや、父の中では、これまでの家族という形に、けじめをつけている事が、この「三枝さん」という他人行儀な言葉から伺えました。
 私に力があったら、父にこんな酷な覚悟をさせずに済んだのでしょうが、さすが親です。父の方から私に「それぞれの人生」を提案してくれたのです。

 ありがとうございます。


 そして、父のけじめは、私にある事を決意させました。

 それは、私と、私の最愛の母の人生を、大きく変える事になる決意です・・・。

写真:昭和61年のお正月、父から届いた年賀状です。

神野三枝 プロフィール
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コメント

銀の皇帝: 2010年9月 6日 14:05

神野さんの前向きな考え方。基本的には素晴らしいと思いますが、周りの人を苦しめていたのではないかと。プラスに考えられない人もみえるからです。お父さんとは、いつまでも親子。20歳を過ぎたから自分らしく生きろという素晴らしい男性だと思いました。

奇跡の復活: 2010年9月 6日 14:25

小さな幸せの積み重ねこそ、大きな幸せ。無事こそ、今日一日の幸せ。考え方を考えるだけで、他人にとって何でもない人生が、薔薇色にも変えられるんですよね。

人生を変える「けじめ」・・・どんなものだったのでしょうか・・・。

nana: 2010年9月 6日 14:46

思い起こせば学生時代に、三枝ちゃんからは、いろいろなアルバイトを紹介されました。牛の爪切りなど、どこからその様な仕事を見つけてくるのかと驚かされましたが、日ごろからユーモアあふれる三枝ちゃんらしかったです。しかし、自分の親に「頼むからやめてくれ」と反対され、実現しませんでした。
三枝ちゃんのお父様は、洗練された紳士というイメージのまま、私の心の中に残っています。

たっちょん: 2010年9月 6日 15:19

今月も1行1行ドキドキワクワクしながら読ませて頂きました。

大学生の神野さんが、どんな環境の中でも、楽しく前向きに生きていた事がわかりなんかホッとしました。

来月が今から楽しみです。

季節はずれのサンタクロース: 2010年9月 6日 22:36

幸せ・不幸せとは、その状況でわなく、その「心」だと思っています。
正に、今回の内容そのものです。  このことを教えてくれたのは、中学の頃から恨んで・憎んできた、今は亡き父親でした。 元気な心があれば、「人生は美しく」なると信じています。
「三枝さん」という他人行儀な言葉から、オピリーナからでしか分らないお父様の「心」を、私なりに感じています。  それぞれの人生を提案したお父様も素敵ですが、そう感じる心を持っていた三枝さんがスゴイです!!

あけおめ太郎: 2010年9月 7日 00:16

年賀状に書かれていた一行に、お父様の「愛情」と、自ら距離を置いた「寂しさ」が伝わってきます。
しかし、その思いをしっかりと受け止めて、それぞれの自立した道を歩みだしていく神野さん・・・
それはきっと、根底では竹の根の様に、繋がっている絆を感じていたから、物理的に離れていても、前進できたのかもしれませんね。
どんな現実があっても、そこに幸せを見出だす。
人生に大切な事を、教えていただきました。

名探偵銀杏: 2010年9月 7日 22:50

私も親だから、お父さんの切なさは分かります。
きっと涙して書かれていたのではないでしょうか。
それでも「さん」付けで、父親なりのけじめをつけられたのですね。
お目出度うは、例えてお芽出度うと書く事があります。
ある意味、気持ちの面ではこの時が、互いの新しい生活のスタートだったのかもしれませんね。

けいちゃん: 2010年9月 8日 21:17

離れているからこそ感じられる愛情もあります。
三枝ちゃんの一家には、この距離感が必要で大切だったのだと思います。
こんな風に冷静にきれいな思い出として語れるのですから。
無様にぶつかり合うのも家族かもしれないけど、家族でも他人。私は自分が楽でいられる距離感を保って暮らしたいです…

RANRAN: 2010年9月10日 09:39

私の母は、以前より三枝ちゃんのファンでしたが、オピリーナを拝見してから、三枝ちゃんの人柄や生き方に感動し、尊敬の念を抱くようになったようです。三枝ちゃんに、笑いや感動、勇気をもらっている人は大勢います。今後のオピリーナからますます目が離せません。

ビデ: 2010年10月 7日 00:16

懐かしいね。いっしょにサークルにいたあの頃と変わってないのでビックリです。ただあの頃、三枝ちゃんの廻りにこんなに大変なことが起きてたなんて・・・。ただ、楽しくみんなでワイワイやってた時にふと見せる影は感じていました。たまには体動かしてますか?お互いに健康第一だね。益々の活躍期待してますよ。
PS:小出さん(旧姓)たちとは、たまには交流あるのかな?

勘違い平行棒: 2010年12月14日 02:32

「物は考えようです。 ・・・人生は美しく!」
のところがとても好きです。
心がザワザワする時はこの文章を読ませて頂いています。
心の垢がスーッと落ち、一番大事なものが見えてくる気がします。
人のイヤーな言動って元をたどれば「ねたみ・恨み・ひがみ」から
生まれていることが多いように思います。
美しく生きるのって邪気の多い私にとってはホントに難しく
一生かかりそうなテーマですけど、心がけたいと思います。
素敵な文章に出会えて感謝しています。

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