神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第29回 『再会』

20100802jinno.jpg 昭和60年、秋。

 父と別れてから2年近く経った、私が短大2年、秋の事でした...。
 私は近鉄電車に乗り、父の暮らす四日市へと向かいました。
 父は、元気だろうか...。
 元気でいてくれるといい...。
 もし会って、寂しくてたまらないから、また家族で暮らせないだろうかと言われたらどうしよう...。
 そんな話になったら、ようやく新しい生活を始めた母が了承するわけがない...。
 父を傷つける事は避けたい...。
 どうか、そんな展開になりませんように...。

 不思議なもので、2年前は、家族が離れ離れになる辛さに、身を引き裂かれる思いでいたのに、私も大人になったのでしょう。一緒に暮らすよりも、離れて暮らす事の方が穏やかな人生を過ごせる家族もある事を知ったのですね。

 今、自分がとても幸せであると言えば、父は安心をするのだろうか?
 いや、逆に、父のいない生活を幸せだと聞こえて、父が寂しい思いをするのかもしれない...。
 母の事を聞かれたら、何と答えよう...。

 あれこれ考えているうちに、電車は四日市に到着してしまいました。

 ドッキン!ドッキン!ドッキン!...。

 口から、耳から、心臓が出てきそうです。電車を降りてから、改札に向かうまでの複雑な心境と言ったらありません。あ~ドキドキする~。
 そして、改札が見えてきた時でした。あっ!改札の向こうに父の姿がっ!!

 ニッコリ微笑んで、手を振って立っているのです。

 お父さん...。

 父は、私が幼かった時に見ていた、見慣れた優しい笑顔で私を迎えてくれました。
 着ているスーツ、履いている靴に見覚えがあったので、贅沢な暮しをしていない事が分かりました。
 多分、私はおもいきり、再会を喜んだ笑顔で、父の元に駆け寄ったと思います。
 それは、本心でもあり、また、こうする事が、父を喜ばせてあげられる事だと計算をした部分もあったと思います。
 幼い頃から、人の顔色を伺う癖がついてしまっている私なので、その場に一番ふさわしい顔をしたと思います...。

 「よく来てくれたね~」。父の第一声でした。

 それは、もし父が怖い人になっていたらどうしよう...、もし父が廃人のようになっていたらどうしよう...、さまざまな最悪の場合を想定していた私の心配を、取り去ってくれる一言でした。良かった...。

 父は、私をタクシーに乗せました。着いた先は、名前は覚えていませんが、細い路地に面した、ホテルでした。
 そこの一階に和食のお店があって、お昼ご飯を食べに連れて行ってくれたのでした。

 父は、たまに来ているのか、顔見知りと思われるお店の方に、「娘です」と紹介してくれました。
 「まあ、こんな大きなお嬢さんがいらしたのですか。可愛らしいお嬢さんですね」と言われた父の顔は、嬉しそうでした。
 おそらくこの街では、独り者の得体の知れない人で通っていたのでしょう。
 父の顔は、自分にも、大事に思う家族がいるんですよ、とでも言いたげな、誇らしげな顔に見えました。それは、私の勝手な思い込みなのかもしれませんが、でも、何となく、この街に暮らす父の役に立てて良かった...。と思えた瞬間でした。

 父は、妹の夫の仕事を手伝っていると言っていました。
 妹の夫とは、例の、母に罵声を浴びせた、あの叔父です。私にとっては憎い人。でも、今、父がお世話にいなっていると聞けば、ありがとうございます、という気持ちになるもので、複雑です。

 私は、言葉を選びつつ、母の話を避けるように、自分の学校の話をいっぱいしました。

 これなら、父を傷つける話題ではないし、父に家族を恋しく思わせる事もないだろうという思いからです。
 そして、私の話が一段落したところで、やはり父が聞いてきました。

 「お母さんは元気?」

 父にとっては、苦労をさせ続けた母の事が気がかりなのは当然の事です。

 「うん。元気だよ。呉服の仕事を続けていて、昔のお得意様の所へ商いに出掛けさせて頂いているよ。名古屋に出てきてからは、最初二人で暮らしていたけど、少し前におじいちゃんが倒れてね、面倒をみる事になって、今はおじいちゃんと、おばあちゃんと、お母さんと、私の4人で暮らしているよ」

 これで私は、
 母は再婚をしていない事。
 裕福な暮らしではないけれど、母が頑張って仕事をしている事。
 祖父母と一緒に暮らしている事で賑やかな家庭であるだろう事。
 祖父の介護をしている事で、もう一度家族が共に暮らせる状況とは変わっている事。
 を、察知してもらおうと思ったのです。

 元々、父は口数の多い人ではないので、それ以上、どこに住んでいるのか? 祖父がどんな病気なのか? 細かい事は一切聞いてきませんでした。
 おそらく父も、あまり深く話を聞けば、私が困る事をわかって、聞いてこなかったのでしょう。
 父が聞いてきた事はただ一つ、「お母さんは元気?」これだけでした。

 人は、いろいろ聞きたい事があっても、立場が質問を躊躇させる事もあります。
 そんな中で、ただ一つだけ、質問が許されるとしたら、一番気がかりで、心に深く影を落としている事を聞く筈です。
 父にとっては、母が今何をしているとか、生活ぶりとか、金銭的な事でもなく、元気かどうか、それだけが知りたかったのですね。
 そして、それ以上は、遠慮して聞いてこなかった父でした。

 この時、私は気付きました。
 父と母はすでに、お互いの人生の邪魔にならない存在でいる"配慮"というのが出来ているのだと...。

 父は言いました。
 「ここで生活をするようになって、初めて、まっとうな人間になれた気がするよ。
 ここでは自分の事を知っている人は誰もいない。
 見栄を張らなくてもいいし、イイ格好もしなくていい...。
 岡崎で暮らしていた頃とは、まるで別人でね。
 昔の僕を知っている人が見たら、みんなビックリすると思うよ」

 父は、幼いころから家庭の事情で学問を習わせてもらえず、家業の呉服屋を継がされて、学歴の無い自分にコンプレックスを持ち、同級生に馬鹿にされたくない思いから派手な生活を身に付けてしまい、見栄を張る人生で家庭を崩壊させてしまった人です。
 精神的苦痛は本人しか分からないもの。
 自由に生きられない戦後の時代が生んだ被害者とも言えるのでしょうが、派手な生活を覚えて、身を滅ぼしたのは自業自得。

 その時、父から聞いた話で、忘れられないのが、「バスに乗れるようになったんだよ」と言う話です。

 いい大人がバスに乗れるようになった、なんて阿呆かと思われるでしょうが、狭い町で、繁盛している呉服屋の社長で、皆から「けい様、けい様」なんて、名前に「様」なんか付けて呼ばれて、まるでお殿様のような扱われ方をしていた父は、当時、無理矢理にでも良い車に乗って、無理矢理にでも自分を大きく見せて、見栄を張っているうちに、バスに乗るなんてあり得なくなっていたのです。

 阿呆な話ですし、嫌味に聞こえるでしょうが、一般人のレベルの生活が出来ない立場に自分でしてしまっていたのです。
 遊びは派手で、付き合うのは芸能人。
 名古屋の御園座や名鉄ホール、中日劇場に来られる芸能人をもてなしては、贅沢三昧の接待を好んでしていたのです。
 テレビで見る有名人から「けい様、けい様」と呼ばれれば、自分まで偉くなったと、勘違いもした事でしょう。
 当時、父が贔屓(ひいき)にしていたのは、石井均さん、かしまし娘さん、西郷輝彦さん、石橋正次さん...あげたらキリがありません。
 石井均さんは、伊東四郎さんや西川きよしさんの師匠さんで、父がお付き合いさせて頂いていた頃は、西川さんがまだ若手の頃です。かしまし娘さんは、全盛期で、どのテレビをつけても出ておられ、西郷輝彦さんは、コンサートの袖から子供の私が見ていた程です。石橋正次さんは当時、森田健作さんと青春ドラマの主役をされていた、今で言うトップアイドルで、そのトップアイドルが小学生だった私を膝に抱いてお酒を飲んでいたのですから、普通じゃありません。

 こんな、ド派手な生活をしていて、商売は妻任せ。家業が倒産するのは当たり前です。知らず知らずのうちに、身の丈をはるかに超えた生活が身についてしまったのです。そして、バスにも乗ってはいけない自分を、自分で作ってしまったのです。

 「この街ではね、僕がバスに乗っても、誰も見てやしない。何でも自由。
 誰も自分の事なんて知らないから、見栄を張る必要もないし、スーツも着なくていいし、お金がかからないんだよ。
 生まれて初めて、人間らしい生活をしているよ。
 人間は、見栄を張ったらキリがない。
 父さんのように、弱い人間になってはいけないよ。
 身の丈に合った、堅実な生活を送るんだよ」

 『身の丈に合った、堅実な生活』
 人の幸せとは...。家庭を崩壊させてしまった父だからこその言葉でした。

 「もっと早く、この事に気づいていたら、家族を悲しませる事は無かったかもしれないのに、本当に申し訳ない。どうか、お母さんを大切に、お母さんを支えてあげてね」

 ...お父さんは? ...お父さんは寂しくないの? と言いかけて、私は口にするのをやめました。寂しいかと聞かれて、寂しくない筈がない訳で、この問いかけが、酷であると思ったからです。

 食事が済み、父は近くにあるファンシーショップに入りました。

 「今日の記念に、何か一つ好きな物を買ってあげるから、欲しいものを選んでいいよ」


 子供の頃、父にどこか連れて行ってもらうと、必ず、父は言うのでした。「今日の記念に、何か一つ好きな物を買ってあげるから、欲しいものを選んでいいよ」と。
 父の中では、短大生になった娘でも、幼い頃と同じに見えるのですね。

 私は、欲しいものではなく、なるべく安い物を選びました。
 一番安い物では、ヘンに父に気を使っているように思われて父を傷つけるでしょうし、かとい言って、明らかにお金に余裕があるわけではないのも分かり、今日のお昼のお食事でも、今の父にはかなりの出費であったに違いないと思ったから、なるべく安いものを選んだのです。

 「これにする!」

 二千円のブローチでした。
 私は、物には執着が無い性格で、要らないもの、使わないものは、容赦なくパッパと捨てる人間です。
 それは、昔、家と家族と多くの物を無くした経験が、身の回りに、物の数が多いと、多い分だけ手放す時の寂しさが大きい事を知り、それ以来、極力、必要な物以外は、身の回りに置かず、物に思い出を持たないようにしているからです。
 そんな私が今でも大事にしまってある物。それが、そのブローチです。
 私の持ち物の中で、数少ない、物に思い出がこもった物です。
 このブローチの話は、ここに書くまで、母にも話した事のない話です。
 安いオモチャのようなブローチですが、このブローチには、私の人生が詰まっています。


 別れ際、改札口まで見送りに来てくれた父が最後に言いました。

 「今日は、どうも、ありがとう」

 今日、私が会いに来た事が、父のこの先の、生きる励みになれば...。そう思いながら電車に乗りました。

 親子なのに、会うだけでお礼を言う関係。普通じゃありません。でも、普通の家庭じゃないから仕方ないのです。
 父が元気そうで良かった...。
 背伸びをしすぎて、息が詰まって、家族に迷惑をかけた自責の念で、死にたいとさえ思っていた父が、人として、倹(つま)しくも生きた心地のある生活を送ってくれている事が嬉しくて、ありがたくて、ポロポロ、ポロポロ、涙がこぼれました...。

 「神様、もう私は、家族がまた一つに戻れますように...なんて贅沢は言いません。
 どうか、父と母が、それぞれの人生を安らいだ気持ちで過ごせますように、見守っていてください。。。」


 さて、それから、ほどなく年末を迎え、慌ただしく新年がやって来ました。

 昭和61年、お正月の事でした。

 あっ!

神野三枝 プロフィール
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コメント

赤い皇帝: 2010年8月 2日 14:06

神野さんは、明るくされていますが番組などで話されるように「辛いことを多く経験した分物は残さない」ということ分かります。なくても、思い出さなくていいという部分と人の絆はつながっていると言う部分があるから。お父さんもステータスが必要な世界から抜け出せた安堵感が伝わってきました。身の丈にあった生活をと察して自由を許してあげたお母さんはやはりすごい方ですね!!

けいちゃん: 2010年8月 2日 21:17

「自分を知っている人が誰もいない場所」で、解放的な地に足のついた生活をする中で、昔ながらの優しい表情を取り戻されたんでしょうね。
思い切って会いに行ってホントに良かったね。
三枝ちゃんのブローチのような宝物、私にもきっとあったはずなんだけど、ずっと忘れていました・・・

季節はずれのサンタクロース: 2010年8月 2日 23:41

思い出がこもったそのブローチは、心がこもり過ぎて使えないですね。
お父様が普通でいて、安心出来て良かったです。
「行ってらっしゃい。あなたにとっては、大事なお父さんには変わり無いんだから。 お父さんも、娘に会いたくても、向こうからは言えないでしょ~。
 あなたから行ってあげなさい」と、三枝さんを四日市に送り出したおかあ様は、何か感じていたのでしょうか?
それれにしても、最後の「 あっ!」って、意地悪ですね~

たっちょん: 2010年8月 5日 13:02

お父様の岡崎での生活は家族を傷つけていたと、思っていましたが、ご自身でご自身を1番傷つけていたんでしょうね。
切ないです。
お父様と二人での思い出が新たな場所でできて良かったですね!
あっ!で終わられているので、気になって仕方ないです。

あさかぜ: 2010年8月 7日 14:46

人間だれでも、見栄とか、肩書きという鎧で武装したいもの。
しかし、その鎧がいかに意味のないものか、鎧を脱いで始めて気づくのかもしれません。
プライドは大切だが、見栄なんて張っても仕方ない。
その違いがわかってない人が多いのかも。

緑茶: 2010年8月 7日 19:49

お父さんと神野さんのその時過ごされた時間を思うと何とも言えませんね。神野さんのお気持ちはここに書かれている通りでしょうが、お父さんはご自分で崩壊させてしまった家庭を思い、本当にかわいい娘とのその時間・・・を思うと。お父さんも娘と別れた後は涙しかなかったでしょう。

奇跡の復活: 2010年8月10日 13:03

親と上司は選べないなんて言いますが、それも運命。いろいろとあっても、時間が解決することってありますよね。時間と距離感によって、悪いことが好転することがありますね。何事も諦めない。そんな気持ちになりました。

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