神野三枝 タレント
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第28回 『祖父と祖母、そして・・・』

20100705jinno.jpg こうして、昭和60年の5月、祖父母と母、私の4人の暮らしが始まりました。

 私が、短大2年の春の事でした。
 祖父は、名古屋で呉服問屋の2代目社長として会社を繁盛させ、4人の子供がそれぞれ独立してからは、祖母と二人暮らしでした。
 とても家庭的な人で、朝は祖母より早く起き、毎朝、鰹節を削って味噌汁を作り、その良い匂いがしてきた頃、祖母は目を覚まし、二人で祖父の作った朝ごはんを食べ、祖父は会社に出勤。

 祖母は、会社の仕事には一切関わらず専業主婦。
 若い頃からこの年まで金銭的な苦労も無く、昼間は好きなお稽古に通ったり、お芝居を見に出掛けたりと、とにかく三食昼寝付き、何不自由のない暮らしをさせて貰ってきた人でした。

 祖母の仕事は、夕方前、祖父が帰って来る時間を見計らって、祖父が晩酌のツマミにする果物の皮を剥き、少々のおかずを作り、熱燗をつける事でした。
 会社から帰って来た祖父は、晩酌を楽しみ、そして、台所に立ち、祖母に代わって夕飯を作るのです。

 こうして書くと、大変な恐妻家に聞こえるでしょうが、そうではなく、祖父が単にとてもマメな人で、台所に立つのが好きなだけだったのです。
 ですから、祖母は幸せな人だったと思いますよ。
 とりわけ美人でもないし、気はキツイほう、気に入らない事があるとカッーとすぐヘソを曲げるタイプ。なのにこんなに大事にされて・・・。

 祖父は背は低かったのですが、まぁまぁの二枚目でした。
 これだけ優しくて、そこそこお金もあって、物静かな人。モテない筈がない。
 案の定、昔一度、祖父の浮気が発覚した事がありました。

 祖父が仕事で海外旅行に行った時でした。
 私の母が、空港の免税店でシャネルの香水を買って来てくれるように頼んだのですが、先方の手違いで、違う香水が入っていたのです。
 母は免税店に電話を入れました。
 すると、買い物控えを調べた先方が言われるのです。

 「はい、確かに香水をお買い上げになっておられますね。え~っと、2本ですね」

 「えっ?2本?1本の筈ですが」

 「いえ、2本お買い上げになられています。シャネルと・・・、え~っとミツコです」

 これが祖父の浮気発覚でした。

 ミツコと言ったら、シャネルよりう~んと高い香水。
 祖母は香水なんて付ける人ではなく、明らかに違う女性への土産。
 祖母には知らせず、4人の子供で、誰だ誰だと大騒ぎになったのです。
 しかし結論は・・・

 「まぁ、おじいさんも、あのおばあさんでは、そりゃ外に好い(いい)人がいたって仕方ないわな。
 真面目に仕事して、家族も大事にして来た人なんだで、そりゃあ息抜きも必要だわ。
 大目に見てあげて、ここは1つ知らなかった事にしよまい。
 おばあさんには内緒にしておこう」

 これが、子供たちだけが知る、祖父の『ミツコの女・事件』です。うふふ・・・。

 そうそう、祖父にはもう一つ面白い、こんなエピソードもありました。

 祖父は、いつも『峰』というタバコを吸っていました。
 ある時、祖父に当時日本ではまだ珍しかった、ファミリーレストランに連れて行ってもらった事があります。

 「デニーズへようこそ~」

 店の入り口に立つ私たちに向かって、ウエイトレスさんが聞かれました。

 「おタバコは?」

 すると祖父は真顔で言いました。

 「峰です!」

 ギャハハハ~。
 吸うか吸わないかを聞いているのに、「峰です!」は、無いでしょ~。(爆笑)

 こんな憎めない家族思いの祖父も、今となっては脳梗塞で右半身不随。
 4人の暮らしは、母が家長となり経済を支え、祖父のリハビリを中心とした暮らしが始まりました。

 まず、歩行訓練。家の中を祖父は麻痺した右足を引きずりながら、歩く練習を繰り返し、そして左手で字を書く練習。左手でご飯を食べる練習。

 会社でバリバリ働いていた祖父とはまるで別人です。

 祖父自身、自由の利かない自分の体への苛立ちに、よく腹を立てていました。
 しかし、そのやるせない気持ちすら上手く喋れず、見ているこちらがつらく思えた事をよく覚えています。

 そして、そんな祖父の姿を一番受け入れられなかったのが祖母でした。
 祖母にとって、何でも出来る、頼りにしてきた祖父のこの変わり果てた姿が、情けなくてたまらなかったのです。

 「あんなに、しっかりしていた人だったのに、どうしてこんな風になってしまったの!」


 何不自由なく生活させて貰ってきた祖母には、この現実を素直に認める事が出来なかったのでした。
 リハビリをしている最中、「なんで言う通りに出来ないの!」と、時には歩行訓練をしている祖父の引きずる足を引っ掛けて、転ばせたりしていました。

 鬼のような人だと思わないでくださいね。祖母は祖母で、つらかったのです。
 人間、自分より頼もしい筈で居続けてくれて当然だと疑わなかった相手が、ある日突然、一気に弱った時、可哀そう過ぎて、見ているのがつらくて、どうしようもない心のやり場に、心とは裏腹の行動に出てしまうのです。

 「おばあちゃん!おじいちゃんは病気なんだからもっと優しくしてあげなきゃだめでしょ!」

 「わかっとるわ!でも、こんな姿になってしまって~情けない~(涙)」

 祖母が泣くのです。もう、泣きたくなるのはこっちです。
 すると家長の母が一喝します。

 「もうみんな!みんなで仲良く暮らさないでどうするの!
 私は喧嘩するためにこのマンションのローンを背負(しょ)った訳じゃ無いんだからね!
 泣いて暮らしても一生。
 笑って暮らしても一生。
 どうせ同じ一生を生きるなら、笑って過ごさなきゃ人生が勿体無いわ!
 涙は嬉し涙だけ!
 いい?ここの家の家長は私なんだから、私に従って貰います!
 流していい涙は嬉し涙だけ!わかりましたか!」

 こうして4人は、時にはぶつかりながら、時にはドチ喧嘩をしながら、支え合って同居生活を送りました。

 さて、この生活にも慣れてきた頃、私の頭の中には、常に片時も忘れる事が出来ない、気がかりな事がありました。

 それは、1年半前に別れた父親の事でした。

 父はどうしているだろう?
 寂しくて、生きる気力を失ってはいないだろうか?
 病気をしてはいないだろうか?
 何をして生きているのだろう?
 仕事はしているのだろうか?
 叔父と叔母に世話になっているのだろうけど、つらい思いをしてはいないだろうか?
 私と会って、父が生きる気力を持つ事が出来るのなら、会って勇気づけてあげるべきだろう・・・。
 でも、こんな気持ち、母は快く思いはしないだろう・・・。
 こんなこと言ったら、母は傷つくだろうか・・・。

 私は母の部屋のドアをノックしました。トントン

 「お母さん、入ってもいい?」

 「ん?どうしたの?」

 「あのね、お母さん・・・。気を悪くしないで聞いてね。。。
 私は、お母さんに守られて生活している事は重々承知の上で、勝手な事を言うんだけど、、、、。

 あの~、何ていうか~、お父さんの事なんだけど・・・
 別に、未練があるわけじゃないんだよ・・・
 未練があるわけじゃないんだけど、心配なの・・・
 生きる気力を失ってやしないか、心配なの・・・
 様子を見に行くだけで、すぐに帰って来るから、一度会いに行ってきてはダメかな・・・
 離れて暮らしていても、自分には家族がいる、娘がいるって事を感じさせてあげたら、元気に生きてくれると思うの。
 ただ、それが、お母さんにとって、許せない事なら、お母さんを傷つけてまでは会いに行こうとは思わない。私にとって、お母さんが誰より大事だから・・・
 ただ、何て言うか、娘の責任って言うのかな~。。。」

 実は、私の中には、自殺未遂をした父の姿がこびり付いていて、高3の夏、毎日死にたい、死なせてくれと言う父を見張っていたあの時の恐怖がトラウマになっていて、離れて暮らしていると、余計に、ガス栓を捻っていないだろうか?首を吊っていないだろうか?と心配で堪らないのです。
 頑張って生きるように、励ましてあげたい。ただ、その思いでした。

 すると母は、

 「行ってらっしゃい。あなたにとっては、大事なお父さんには変わり無いんだから。
 お父さんも、娘に会いたくても、向こうからは言えないでしょ~。
 あなたから行ってあげなさい」

 私は、大きな関所を越えたような気持ちでした。

 そりゃあ、母にとっては、嬉しい話ではなかったと思いますよ。
 苦労して私を養い、守っているのに、何もしていない父親を放棄した相手を心配するのですから、自分は何なの?と思ったとしても無理もありません。
 しかし母は、大きな心で、私の気持ちを理解してくれました。

 こうして、私は別れてから2年近く経っていたでしょうか・・・。父に会いに、四日市まで行ったのでした。

【写真】母と祖母です。

神野三枝 プロフィール
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コメント

naramura: 2010年7月 5日 16:43

毎回とても勇気づけられています!
お母さんの家長としての言葉、お父さんを心配する娘への言葉、
どれも強い人でないと言えないものだと思います。

お父様に会いに行った続きも気になります。

奇跡の復活: 2010年7月 5日 18:06

人間味溢れる暮らしだったのが思い浮かびます。衝突の無い家族は無い訳で、言いたくなくても、言わなくてはいけないこともあります。恨み辛みも言えるのは、家族だからこそ。改めて、感じることができました。
父親に会いたいという気持ちを組んでくれたお母様は、つくづく、気持ちの整理がお上手。感情をうまくコントロールできる術を持っていたんですね。

美濃虫: 2010年7月 5日 23:39

素敵ですね! サラットこんな気持ちになかなかなれませんよ。
それぞれの家庭には色々な問題を抱えながら過ごしています。特に家族の事は他人には言えません。黙って我慢して支えてあげる! ただそれだけです。殆どの人がそうと想います。

いてまえ: 2010年7月 5日 23:50

僕には、神野さんと同じ、介護を必要とする祖母が居るんですが、今回のお話を見て、神野さんのお気持ちが痛いほど分かります・・・。ですが、神野さんのおじい様、とても面白い方だったみたいですね。

季節はずれのサンタクロース: 2010年7月 6日 00:04

「流していい涙は嬉し涙だけ!」  勇気の湧いてくる言葉ですね!!
しかし、私の涙は、自然と湧き出て来て、あふれ出てしまうんですよねぇ。
三枝さん、勇気を出して話して良かったですね!
今回も力を持ったお母様のお言葉・・・感謝感謝ですぅ!!

けいちゃん: 2010年7月 6日 11:58

お母様の心の大きさには、尊敬を通り越して神々しさを感じます。
でも「母」とか「家長」の名のもとにご自分を奮起しておられたわけで、パワーの源は三枝ちゃんであり、ご両親だったと思います。
三枝ちゃん、今日のぴーかんのコメント良かったよー!

赤い皇帝: 2010年7月 7日 10:15

神野さんのお父さんに対するお気持ち、わかります。離婚されても親子には変わりないですし、お母様も嫌いで離婚されたわけでないというのは、以前話されていましたよね。本当は、お母様も行きたかったのでは?お母様も裏腹だったんでしょうね。
お祖母様のお祖父様に対する悲しみ。好きな人だから裏腹になってしまう。でも、言われている方はそれ以上に、辛かったのではないでしょうか。峰事件のようなユーモアのある方だけに。

おぐらとーすと: 2010年7月 8日 08:41

流していい涙は嬉し涙だけ・・・たくましい言葉ですね。
お母様らしい一言。
そして,変わってしまわれて祖父様への祖母様の気持ち。お辛いことですね。受け入れる・・・言葉は簡単でも,実際はとてもとても難しいことだと思います。

たっちょん: 2010年7月 8日 11:12

おじい様のユーモアとお母様の温かさのDNAが神野さんに受け継がれたんですね。
今回もお母様の人間としての大きさに感動しました。
次回も楽しみにしています。

緑茶: 2010年7月 8日 11:57

昨日から一挙に読ませていただきました。神野さんとお母様との生活はラジオ等で少しは知っていましたが・・・。頑張れ!私!の気持ちをいただきました

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