神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第24回 『必死』

 昭和59年4月。

 母と私、犬のティシュの二人三脚+一匹の新しい生活が始まりました。

 私は短大に入学し、昼間は学校、夜は従弟(いとこ)の家庭教師のアルバイト。
 母は、昼間は岡崎に車を走らせ、長年ご贔屓(ひいき)頂いてきたお客様のお宅へ呉服の行商の仕事、夕方には名古屋に戻り、着物に着替え、美容室で髪を結ってもらい、"さわさん"に変身して夜の街に出勤。
 母が帰ってくるのは、いつも真夜中でした。

 それでも母は私と会える朝のわずかな時間を大切に考えてくれ、せめて朝ごはんだけは一緒にと、朝は私より早く起きて、普通の母親と同じように食事を作り、私の話を聞いてくれました。ですから私は、この生活を寂しいと感じた事などありません。

 母は、ホステスの仕事の細かい話は一切しませんでしたが、一日のスケジュールを考えれば、母が一生懸命頑張ってくれているのは、娘の私に痛いほど伝わってきたものです。
 多くを語らずとも、親の背中というのは、子に、さまざまな教えを、見せてくれるものです。
 当時の母の背中には、『必死』という文字が書いてありました。
 必死で頑張った先には、必ず良い人生が待っている!そう語っていた母の背中でした。

 叔母の"ヨッちゃん"には、随分助けて頂きました。
 とにかく1円でも多く稼ぐ為に働き通しの母に代って、夜ごはんは、ヨッちゃんが支度をしてくれました。
 母はヨッちゃんに、毎月、私と母の二人分の食費を払い、夕飯は別々にヨッちゃんの家に行き、ご飯を食べる。
 母はその後、夜の仕事へ、私はそのまま、ヨッちゃんの息子の家庭教師をする毎日でした。
 家庭教師のアルバイト代は、祖母(母の母)が出してくれました。
 祖母は、私を不憫(ふびん)に思ったのでしょう・・・。
 私にお小遣いを与えたい・・・、でも一人の孫にだけ特別にお小遣いをやるのは、他の孫たちの手前出来ない。それに、働かずしてお金を手にしたら、私はお金の有難みが分からない大人になってしまうだろう・・・。
 そこで祖母は、私に従弟の家庭教師のアルバイトをするように、手を差し伸べてくれたのです。

 『お金は、働かなくては誰もくれない』祖母は私に教えたかったのだと思います。

 名古屋の街は、私にとって、見る物全てが都会で、新鮮でした...。
 今思うと、ウブだったなぁ~と思うのは、名古屋で暮らし始めたばかりの頃、私は賑やかな地下街の真ん中を、堂々と歩けなかった事です。
 田舎から出てきた引け目があって、名古屋駅や栄の地下街を歩くときは、通路の一番隅っこを、隠れるように歩いていました。
 「田舎モンだとバレたら恥ずかしい・・・」そんな事を思っていたのです。
 ただ、こんな風にも思っていたのを覚えています。

 「いつかきっと、私は、この地下街を堂々と歩いているはず。1年後、10年後、自分がどんな風になっているのか楽しみ・・・」

 これは、完璧に母に刷り(すり)込まれた影響です。
 母は、何か落ち込むような事があった時には、必ずこう言うんです。

 『1年後、10年後、自分がどんな風になっているのか楽しみ』

 落ち込んで暗く沈む状況で、必ず目を輝かせて言うのです。

 『1年後、10年後、自分がどんな風になっているのか楽しみ。
 頑張るのは、誰の為でも無い、全~部、自分の為なのだから。
 必死になって頑張っていれば、神様はきっと、その姿を見ていてくださるはず。
 いつか必ず報われる時は来る。その時、この悔し涙は、笑い涙に変わるから...』

 こんな母親に育てられて来た娘なので、私も、知らず知らずのうちに、今は悲しくても、1年後はきっと笑い話になっているから大丈夫!と、何の根拠も無いのに、何でもかんでも前向きに考えるようになってしまったのです。

 それが面白いもので、どんな事でも、みんな本当に笑い話になってしまって来たから、人生は何一つ、諦める事など無いと思えます。
 それが証拠に、今こうして過去の悲惨な人生を笑って書いているのですから。アハハハ・・・。

 『諦めなければ、終わりは来ない。終わりが来るのは、自分が諦めた時』
 諦めない!諦めない!だって、先に、1つも良い事が無い保証など、どこにも無いのですから・・・(笑)。

 さて、私も学校にアルバイトに、新しい生活に慣れ、母は母で充実した毎日を過ごしていたと思い込んでいたその時、その事件は起きたのでした...。

 いつものように、朝、私は学校へ。ところがその日は遅刻しそうで、母が車で学校に送ってくれる事になったのです。

 「お母さん!早く!遅刻しちゃうよ!」

 新緑に太陽の光が反射して、キラキラと輝く6月の爽やかな朝でした...。
 私はアパートの螺旋階段を、駆け足で降りて行きました。
 後ろから、母も階段を降りかけた、その時です!

 「ああああああああっっっっ!!!」

 母は叫び声と共に、頭から真っ逆さまに転落したのです!
 狭い螺旋階段に、頭を何度も何度も打ち付けながら転がり落ち、一瞬の出来事でした。

 私はどうする事も出来ず、駆け寄った時には、グッタリとした母が、頭から血を流していました!

 「お母さん!大丈夫!しっかりして!」

 すぐに、ヨッちゃんを呼びに行き、母を病院に運びました。
 幸い検査の結果、脳には異常は無くホッとしたものの、身体じゅう鞭打ちとアザだらけの母。治療後、医師からしばらく自宅で安静にするようにと言われました。

 私はこの時、母が、ただ足を滑らせただけの事だと思っていました。
 しかし、それが違っていたと知ったのは、これを書くようになった最近の事です。
 母は、寝ずに働きづめで、その上、私に言えないある精神的疲労で、身も心も疲労困憊(ひろうこんぱい)状態で、目眩を(めまい)を起こしたのです・・・。

 そうとも知らず私は、「もう!お母さんのせいで、結局、学校遅刻しちゃったじゃない!本当にオッチョコチョイなんだから~。」と言ってしまったものです。

 母は痛がりながらも、夕方になると、出勤する支度を始めたのです。
 「今日はダメ!先生が安静にしてるように言ってたでしょ!」そう言う私に、「これくらいの怪我で休んでどうするの!大丈夫、大丈夫。それじゃあ行ってくるからね」

 私はまだまだ子供で、母がこの時、なぜそこまで頑張るのか、分かりませんでした。
 この時、母の心の中には、1日でも早く、このアパートではない、もっと家庭らしい住まいで私を暮らさせてやりたい・・・。その思いがあったのです。

 その事故から数日・・・。
 家で、長い髪をといていた母が驚いたように「わっっ!」と声を上げました。
 見ると、頭の右側に大きなハゲが!
 頭を打ったところの細胞が一時的に死んで、毛がゴッソリ抜けてしまっていたのです。

 さぞや母がショックを受けるかと思いきや、

 「ああ~良かったぁ~。母さん、ツイテルわ!だって、ここなら、髪を結えばハゲは隠れるでしょ!問題無い。問題無い」
 頭がハゲたのにツイテルなんて、どういう人でしょう・・・。

 と言うのは、母にとってハゲなんて、何の問題も無く、それより母の心の奥底には、私の知らない、本当の問題が影を落とし、母は一人、それと戦っていたからでした。これが、私の知らない精神的疲労の原因です。

 その母の戦いとは...。

【写真】この話の頃の私。このアパートで写した、唯一たった一枚の写真です。
神野三枝 プロフィール
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コメント

奇跡の復活: 2010年3月 1日 13:50

頑張るのはいいことですが、頑張り過ぎるのは、よくありません。しかし、頑張りを苦にしないところが、ポジティブで尊敬します。人生は、自分で基準を決めればいいんですよね。

赤い皇帝: 2010年3月 1日 13:50

まず、心に残ったのが祖母様の”お小遣いをアルバイト料”として渡してくれたという話。苦労をさせてこれから先に繋げようという気持ちに感動しました。お母さんの自分との闘いで葛藤している姿。でも、明るく振舞う。それを見て将来は楽にさせたいという神野さんの気持ち。家族の絆大切にしたいです。

橋田巣箱: 2010年3月 1日 14:05

毎月楽しみにして読んでいます。
神野さんが地下街を歩く時に「田舎者だと思われないか」 あの気持ちとても分かります。
私も中学を出て専門学校に通う時名古屋駅から笹島まで地下街を毎日通ったからです。
お母さんも女です。強がって見えても大変なおもいで頑張って見えたのですね。
眩暈を起こされ階段を転倒されても損傷が少なくて良かったですね。
まだまだ波乱が起きそうな文 来月を楽しみにしています。

おぐらとーすと: 2010年3月 1日 16:30

いつも深い言葉をありがとうございます。
心に突き刺さるようです。
いつもながら,いつも何かと戦っていたお母様は
すごい,すごすぎる!!と思いながら読ませていただいてます。

季節外れのサンタクロース: 2010年3月 1日 22:55

 『諦めなければ、終わりは来ない。』  その通りです。そして、「スタートラインは、いつでも、どこでも引ける。」  これで無敵です。 今月もいいお言葉頂き、一ヶ月頑張れます。  感謝感謝ですぅ。   それにしても、お母様の戦い・・・  気になりますねぇ・・・  

三好のてるくん: 2010年3月 2日 06:07

『1年後、10年後、自分がどんな風になっているのか楽しみ』
今日もまた、心に刻む言葉を頂きました
そして、改めて
『諦めなければ、終わりは来ない。終わりが来るのは、自分が諦めた時』
も刻みました
それにしてもお母さん、文字で書いても、これだけ大変さが解るのですから、実際はもっともっと壮絶なものだったのでしょう
凄いです、尊敬します、それしか言葉が出てきません

バードちゃん: 2010年3月 2日 15:17

すごいすごい!お母様のこの明るさに脱帽! と言うより、本心を見せない心の強さは尊敬に価します。新天地を求めるまでは考える暇もなく突き進んでみえたけれど、毎日の暮らしの中で一人で母子の生活を支えることの不安は相当なものだったでしょうね。お母様のコメントも是非お聞きしたいです。

はじめましてのはじめちゃん: 2010年3月 3日 17:27

ティシューちゃんついていったんだねー。ほっとしたわ。毎月どーしたんか心配しとったんだよ。あーよかった。ほんじゃまた来週楽しみにしとるでがんばってちょうだゃあね。

たっちょん: 2010年3月 5日 14:27

今回もいっきに読んでしまいました。
私の姉も姪が保育園の時に離婚をしました。小学校入学を機に
私たち夫婦の近所に引越しをしてきました。朝早く出勤をする
姉に代わって6年間姪の朝ご飯の支度などしてきました。
その姪もこの春高校生になります。
姉もお母様同様本当に頑張って姪を育てています。
姪も三枝ちゃんのような前向きな素敵な女性になってくれる事を心から願っています。
来月分も姉と一緒に楽しみにしています。

ゆりっぺ: 2010年3月 7日 12:06

はじめてコメさせていただきます
神野さんの明るさ前向きなところ お母様ゆずりなんですね
前を向いて歩いていたら 希望がありますね
私も前を向いて歩いていきたいと思いました。
PS 神野さんにも名古屋の町を堂々と歩けなかった頃があったんだね
私も見習っていきます

けいちゃん: 2010年3月 8日 22:28

新生活のスタートも束の間、まだ三枝ママを悩ませるかが…!
この頃のお母さん、本当にジェットコースターのような人生ですね。人生の後半には、路面電車のようなのどかな人生が待ってるといいな、と思います。

かず: 2010年3月16日 23:36

昔のお母さんの苦労、自分(三枝さん)にしてくれた事への親孝行を今三枝さんはしてるんでしょうね。僕は一昨年父親を亡くしました。何の親孝行も出来ず。だから母には出来る限りの事をしたい って思ってます。三枝さんがお母さんの事を大事にしている様に。

モンブラン: 2010年3月25日 03:41

私は小学生の頃、三枝さんの家に遊びに行っていました。ただ子供心にお金持ちでうらやましいと思っていて お母さんも綺麗な人で授業参観では ひときわ輝いてました でもその裏ではいろいろ大変だったと途中で読むのやめれないほどよみいってしまいました 私はたくさんの病気と闘っていてなかなか親孝行できませんが 父が病気で若くして亡くなり女手一つで育ててくれた母には大感謝です

エルコンドル: 2010年4月16日 17:41

そうなんですね いくら強いといつても 体は正直で
無理は いつかは 現れる うまくいかないものですね
でも 前向きな気持ちがすべて いい方向に向かわしてくれるものだと 再確認できました ありがとう 私もいま
岐路です 命と向き合う毎日 もう1日もう1日 と生きています

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