神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第23回 『新天地』

20100202jinno_01.jpg  カンカンカンカン~

 私は母の後に付いて、螺旋階段を上がって行きました。
 この時の心境は、頭にクエスチョンマークが乗っかった気持ち、と言ったら良いのでしょうか。???
 当時、昭和59年。私はアパートという物を、これまでの人生の中で、見た事がなかったので、どんな物かが想像も出来無かったのです。
 岡崎は、古くからその土地に住んでいる人たちばかりで、大抵、一戸建ての家。
 小中学校の同級生の中でも、マンションに住んでいた子は、たった1人しかいませんでした。その子は、お父さんの仕事の転勤で、東京から引っ越してきた子で、そこの家に上がった事も無かったので、アパートや、マンションがどんな物なのか、さっぱりわからなかったのです。
 ただ以前、母がボソッと言っていた事は、頭に残っていました。
 家の事で、苦労づくしの母が、ため息交じりに零(こぼ)した言葉でした。

 「あ~あ...。一体こんな人生、いつまで続くんだろう...。名古屋には、マンションっていうのがあってね。玄関のカギ1つで、誰にも気兼ねをせずに生活できる箱のような家があるのよ...。近所の人の目も、人の噂も、何も気にしなくてもいい、自分だけの場所。母さんもそんな所で、自由に生きてみたい...。マンションで暮らしてみたい。母さんの夢だな~」

 今でも母はその時の事をよく覚えていて、たまに私に言います。

 「母さんが、『名古屋に帰りたい...。マンションで自由に暮らしてみたい。』っていうと、子供のあなたは、『お母さん!何を言っているの!私たちのお家はここでしょ!絶対、そんな事言っちゃダメ!』って言って、よく怒られたものよ。。。」

 覚えています。子供心に、母がこの家を飛び出して、自由になりたいと思っていた事を、薄々感じていたのだと思います。
 でも、家族が壊れるなんて、絶対にイヤ!
 大人の事情が分からない子供の私が、母を叱っていたのです。
 母を板ばさみの状態にさせて、随分苦しめていたんだな~と、今になって申し訳なく思います。

 さて、螺旋階段を3階まで上がると、細長い通路があり、右手に2つ、突き当たりに1つ、ドアがありました。母は、1つ目のドアの前を過ぎ、そのまま2つ目のドアの前を過ぎると、突き当たりにあるドアの前に立ちました。
 そしてカギを開け、ドアを引きながら、言ったのです。

 「ようこそ新天地へ!」

 恐る恐る一歩、中に踏み込んだ私。
 今日から我が家となる小さな部屋の、小さな小さな玄関に立ちました。
 もう一歩踏み込んだら、完全に土足で部屋に上がり込めてしまう程の『靴脱ぎ場』と言った方が相応(ふさわ)しい玄関です。

 部屋の中は、すでに母が一人で引っ越しを済ませ、キチンと片付き、暮らせるばかりになっていました。

 目の前に流し台と冷蔵庫。そして小さな食卓テーブルと椅子が2脚。
 アコーディオンカーテンで一応仕切られるようになって、向こうに一間(ひとま)の部屋がありました。
 そこには、岡崎から持ってきたテレビを中心に、左に母の鏡台。右に私が小学生の時から使ってきた勉強机が置かれていました。
 左が母のスペース、右が私のスペースといった配置です。
 左の壁に沿って、母の嫁入り道具の桐のタンスが置かれていたので、それぞれのスペースと言っても、2組布団を敷いたら、いっぱいいっぱいの狭さです。
 あとは、押し入れと、小さな物入れ。この物入れは、私の洋服を仕舞うのに、私に使う権利が貰えました。
 あと、ドアが1つありました。

 「これは何?」

 そーっと開けて、たまげました。
 洋式トイレと、小さな風呂桶。2つの仕切りはカーテンでした。
 「すごい!洋式トイレが家にあるの?こっちがお風呂...?えっ?どこで服を脱いで、どこで体を洗うの?」
 これが、私が人生で最初に出会ったユニットバスという物です。
 洋式トイレなんて、普通の家にある物じゃないと思っていた私は、名古屋ってすごい!と思ったのでした。部屋の様子は以上です。

 えっ? 以上って、部屋の全部? とお思いですか? はい、そうです。これで全部です。
 今まで暮らしてきた家の20 分の1ぐらいの狭さです。
 これで、家財道具のほとんどを処分してこなくてはいけなかった理由が、お分かりいただけたかと思います。

 しかし...、、、

 何だかすべてが小さくて、面白い...、、、

 なんか、オモチャみたい...、、、

 私...、、、

 不思議な国のアリスになったみたいで...ちょっと楽しい...。

 『人間、辛いと思えば、悲しくなる。面白いと思えば、楽しくなるものです』

 そして私は、自分の勉強机の整理や、洋服の整理を始めました。

 しばらくすると、良い匂いがしてきました。

 「さあ、ご飯にしましょう」

 唯一、この引越しで母が買った2人用の小さな食卓テーブル。
 そこに、私の大好きな玉ねぎのお味噌汁と、芋の煮っころがし、ホウレン草のおひたしと、ご飯が並んでいました。

 「今日は有り合わせだから大した物を作れなかったけど、人間、食べなきゃ力が湧かないからね!さあ元気に食べましょう~!」

 母はそう言うと、湯呑にお茶を注ぎ、

 「さあ、今から新しい人生の始まり。一生懸命、頑張りましょう!!我々の前途洋々たる未来に乾杯!よろしくお願いしま~す!(カチャン)」と私の、湯呑に乾杯してきました。
 何でも、楽しい事のように、変えてしまう、どこまで行っても前向きな人です。

 もしこの時、母がこう言っていたらどうでしょう?

 「私たちは、一文無しになってしまったから、食べる物もこれだけしか無いの...。胸がつかえて食事も喉を通らないわね...。この先、私たちは、どうなってしまうのかしら...」

 人間は、同じ状況下におかれても、発する言葉で、出てくるエネルギーの種類が、真逆に別れるのです。
 本当の気持ちはそうでなくても、とりあえずでも、前向きのファイト溢れる言葉を口にする事によって、周囲をプラスの錯覚という暗示にかける事が出来るのです。
 そして私は、まんまと母の暗示にかかり、この寂しいはずの食事を、「何だか幸せ」と思ったのでした。

 時に能天気(のうてんき)は、人を幸せに導く場合もあるのです。

 食事の後、私は初めてのユニットバスを経験しました。
 「狭っ!でも、なんだか楽しい」

 私が、何でもかんでも楽しいと思えたのは、母親のおかげです。
 この状況で、どこに前途洋々の要素があると言うのでしょう?
 でも、私には、あるように思えました。母のバイタリティーが、私にそう思い込ませたのです。
 要は、思い込み、思い込みです!

 お風呂から上がり、布団を敷き、母と並んで布団の中に入りました。
 今になって当時の事を母は話します。

 「あの時はね~、本当、どうやって生きて行こうかと、不安もあったけど、それよりこれまでの人生から解放された事の喜びの方が大きくてね。これまで頑張ってこられたんだから、これまでの苦労を考えたら、この先の苦労なんて、苦労の内に入らない!その思いだけで、自分を奮い立たせていたわね。自分を憐れんで泣いていたって、誰も助けてくれないんだから、人をあてにするだけ時間の無駄!だいたい考えてごらん。泣けば涙もハナも出る。無駄にティッシュは使わなきゃいけないし、目は腫れて不細工になる。何一つ良い事なんて無いでしょ。ハハハハ(笑)」

 新天地、1日目の夜...
 電気を消し、真っ暗な中、布団に入り、2人天井を見つめていると、母が言いました。

 「あなたは強い子に育ってくれた。それだけが、母さんの救い。感謝してる。何も心配しなくても、絶対、良い人生になるから大丈夫!頑張って生きていけば、神様は必ず見ていてくださるから。誰の人生でもない、自分の人生なんだから、ね。さあさあ、明日から張り切って生きていかなきゃいけないから、さっさと寝るよ!おやすみ!」

 母は、自分に言い聞かせていたのでしょう...。

 そして、私を強い子だなんて、本当はそう楽観視していた訳じゃない事を、私は今、これを書いていて、初めて気付きました。

 そう...、母は私が心配で心配でならなかった...。

 なぜなら、とにかく働きに出て、お金を稼がなきゃいけなかったこの時に、その日、母は、"さわさん"を休んで、私と一緒に寝たのです。
 正しくは、寝てくれたのです...。ですね。
 今日だけは、私を一人、部屋に残して、出掛ける事は出来なかったのでしょう。

 あの時は、そこまで、気が付きませんでした...。

 アリガトウ、お母さん。

 母、43歳になったばかりの春の事でした。
神野三枝 プロフィール
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コメント

赤い皇帝: 2010年2月 1日 13:47

神野さんとお母さんの新しい生活。物は少なくなってしまったけど、新鮮な気持ちで”2度目のスタートライン”に立って清々しいという気持ちが伝わってきました。お母さんの前向きさと神野さんの心強さは素晴らしいと感服します。お母さんも神野さんもお互いを思う気持ちは固く結ばれている感じがしました。

バードちゃん: 2010年2月 1日 16:10

表向きすっきり爽やか、内心不安で一杯...そんな心境のお母様だったでしょうね。三枝ちゃんがその頃のお母様の年齢になり「まだ、若かったのに凄いな~!」と思ってみえるでしょうね。この頃の思い出は何ものにも変え難い二人の絆ですね。

セナガブママ: 2010年2月 2日 13:42

いつも楽しみに読ませて頂いています。更新日が待ち遠しくて、でもその日に読んでしまうと次までが長くて!!
もっともっと読みたいです。でもこれだけの内容を書くのは、三枝ちゃん大変ですよね。
いつも元気を頂きありがとうございます。私も精神的に豊かな
人間になれるよう努力しようと思います。

奇跡の復活: 2010年2月 3日 16:24

基準次第で人生って変えられるんですね。
そんな人生、いろんな師に出会います。時には先生、友達、テレビの向こうの有名人などなど。でも、一番近くにいて、一番知っているのは親などの肉親。子を持つ親として、そんな役割を果たさないといけないなと身の引き締まる思いです。

季節はずれのサンタクロース: 2010年2月 3日 23:02

「プラスの錯覚」っていいですね!  風邪薬が買えずに、その気で飲んだ片栗粉で症状が和らいだそれに似ていますね。  宮地さんがいつもボロクソに言うお母様に、お聞きしたい事が沢山で、マジでお会いしたくなってきました。    さわさんを休んで、一緒に寝てくれた一夜の会話は、一生忘れられませんね!!   「「アリガトウ、お母さん。」」 深すぎてたまりません・・・
  三枝さん、私もお味噌汁で一番好きな具は「たまねぎ」ですぅ。

野村景子: 2010年2月 5日 09:32

夫への不平、不満で、離婚することで頭がいっぱいだったのですが、三枝さんの記事を読んで、自分が どんなに幸せな境遇にいるのかを、気付かされました。離婚という文字が、頭から消えました。本当にありがとうございます。

いてまえ: 2010年2月 8日 00:37

僕自身も、小学校・高校と陰湿ないじめに遭い、毎日が悪魔の様に過ごしていた事を、今回の内容を見ながら、思い出しました。僕自身も、テレビやラジオ等様々な場所で、いろんな方々とお目に掛かる事が出来ましたので、出会いを忘れない様に毎日を過ごしたいと思います。

おぐらとーすと: 2010年2月 8日 19:07

本当にすてきな素晴らしいお母様。
そんなお母様に育てられた三枝さんが,とても羨ましいです。
言葉って,大事ですね。
前向きなお母様の言葉で,三枝さんは真っ直ぐに育った。
辛い状況だったはずなのに,本当にすばらしい,の一言です。

けいちゃん: 2010年2月 8日 23:11

人を奮い立たせたり心を温めるパワーと、ナイフのように鋭く人を傷つける負のパワー。言葉のエネルギーは両刃の剣です。
お母さんのように輝く言葉の数々を使って子育てしたい!
残せる財産は何もないけど、美しい日本語と正しい箸の使い方だけはきちんと教えてあげたいと思っています♪

ワビサビ: 2010年2月 9日 15:01

何でも 言葉に出して 言ったもん勝ちですよね 今 おかれてる境遇が どんなに 大変なモノでも 前向きな言葉を口にすれば そのように なっていくんだもん  心の中で 思っているだけじゃ駄目  言えば 自分も改めて 確認できるし 発したことで 自分への決意にもなるしねぇ~  
私も 子供達といたから 乗り越えられた  みえちゃんも お母さんも 独りじゃなかったから 乗り越えられて 今が あるんでしょうね

まーゆ: 2010年2月10日 00:56

三枝ちゃんありがとう。みんな人生言い出したらきりがない程いろいろあるんだよね。いつも読み終えると「ちから」を頂いてますよ。ありがとう

バンバン爺: 2010年2月10日 16:27

今日の三枝さんが有るのは何事もプラス思考で行動されるお母さんの影響が大きいですよね。私もボロアパート暮らしを経験しましたが、共同便所だし真冬に銭湯から帰り着く頃には体も冷え切っていました。それでも姉弟妹の3人は楽しく前向きに生きていました。バストイレ付きなんて無い時代でした。

三好のてるくん: 2010年2月11日 06:34

お母さんが43歳の出来事ですか、今の三枝ちゃんの年齢ですね
読めば読むほど、三枝ちゃんのお母さんを尊敬します
そして、1回目の離婚で、洋服とゴルフ道具、釣り道具だけを持って1人家を出た時の事を思い出します

そして、また今回もパワーをもらいました、ありがとうございました

カホチーヌのママ: 2010年2月11日 20:04

私は三枝さんとお母さんのことが大好きです。能天気は人を幸せにする、心に響きました。少し似ている三枝さんと私の境遇に、感謝しています。いつも、元気をいただいてます、ありがとうございます。

おわりなごや: 2010年2月15日 22:42

若いときに苦労は、買ってでもせよ!と・・・
本当にいい経験をされましたね!お母さんに感謝
それにもめげず生きていた、三枝さんも立派

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