神野三枝 タレント
~お知らせ~ 「何度も何度も読みました。そして胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした」「私にとって人生の教科書」・・・08年3月から3年にわたり連載、多くの反響を呼んだ神野三枝さんのコラム『礼状』に、新たに書き下ろしの文章を加えた自叙伝『母への礼状』が発売されました。 お問い合わせは風媒社(052-331-0008)まで。 http://www.fubaisha.com/

第20回 『"さわ"さん誕生!』

20091102jinno_01.jpg 自分に出来る、仕事、仕事、仕事???

 母は、今の自分における、誰にも負けない強みは何か?を考えました。

 自分の強み...。

 自分には、23年8か月、商売で身に付けてきた、接客業のノウハウと、話術がある。

 これには、誰にも負けないという、自負がある!
 それから、自分には、誰と並んでも、引けを取らない素晴らしい着物が何枚もある!
これが自分の武器!ならば、これを生かせる仕事は、これしかない!

 そうだ!ホステス!ホステスになろう!
これこそが、今の自分の強みを生かせる、最強の仕事だ!

 この先は、母の故郷、名古屋に戻って生活をする事を決めていましたから、母はすぐさま、名古屋の電話帳を手に入れ、店を物色し始めました。
 この時、母は42歳でしたので、若いホステスさんが大勢いるスナックには向いていないと考え、クラブを視野に入れたのです。
 どうせやるなら、最高級クラブがいい。
 会員制のメンバーズクラブなら、来られるお客さまも、当然の事ながら、良いお客様がいらっしゃる。
 母は、ある一軒のクラブに目を付け、連絡をし、すぐに美容院で髪を結ってもらい、上等な着物を着て、面接に行きました。

 「今日からでもいいですよ。採用しましょう。
 ところで、あなた、店に出る時の名前はどうするおつもり?」

 そこまで考えていなかった母でしたが、とっさに閃いた(ひらめいた)のです。

 「"さわ" さわ にいたします」

 これは、母ならではの発想です。
 これまで散々苦労してきた呉服屋の屋号が、"大澤屋(おおさわや)"。
 大澤屋には苦労させられっぱなしだったけど、大澤屋があって今の自分がある。
 それに、苦労をさせられた大澤屋には、こうなった以上、今度は自分の為に、一役買ってもらおう。
 大澤屋の"さわ"を取って、"さわ"!
 "さわ"で、新しい人生、一旗あげてみせる!

 こうして、ホステス "さわ"さんが、誕生したのです。

 これを聞いた時、私は嬉しかったです。
 母にとって、憎むべき存在でしかないと思っていた大澤屋を、母は第2の人生で、自分の名前に選んだということは、私にとって愛する我が家を、母は断ち切らずにいてくれるという事。これは、別れた父との、目には見えない繋がりだと、私には思えて、嬉しかったのです。
 多分、母には、父との繋がりなど、さらさら無く付けた名前だと思います。
 しかし、娘というのは不思議なもので、理由は何であれ、こんなちょっとした繋がりでも、まだ父との縁が切れていないと、嬉しく思うものなのです。

 それからというもの、母は、昼間は岡崎で、商売の残務整理と、家を明け渡す為の整理。夕方になると、車を名古屋まで飛ばして、理容室で髪を結ってもらい、さっそうと着物に着替えて出勤。
 夜中まで働いて、帰り道、夜鳴きそば屋で1杯のラーメンを食べて、真夜中に帰ってくる、という生活でした。
 当時の母の睡眠時間は、おそらく、3、4時間ほどではなかったかと思います。
 それでも母は、苦しいとか、辛いとか、愚痴をこぼすことは、一度もありませんでした。

 そして、私は?というと...
 高校も卒業し、毎日、母の手伝いと、引越しの支度に追われる日々でした。
 引越しを4月に決めたのは、私の短大の入学に併せての事でした。
 こんな状況でしたので、私は進学を断ったのですが、母はかたくなに、

 「母さんの夢だから」
 「あなたを短大に出すぐらいの事は、母さん何が何でもやってみせるから!」

 家もなくなり、家族もバラバラになり、この先どうなるかわからない私に、学歴だけはつけてやりたい、そう思ってくれたのです。

 新しく生活をするアパートは、名古屋に出勤する合間に、母が決めて来てくれました。

 一間のアパートです。
 今まで生活してきた、この家のほとんどの物を処分しなくてはなりません。
 二束三文でも、少しでも現金に換えたい。
 大物は、今でいうリサイクル業者さんに引き取ってもらいました。
 応接セット、ピアノ、ベッド、ステレオ、タンス、掛け軸、絵...。
 次々と運び出され、日に日にガラ~ンとしてきた我が家。
 結局、引越しに持っていけるものは、母の着物を入れる桐のタンスと、私の勉強机、台所のこまごました物と、布団と衣類だけです。
 残りの物は、すべてゴミとして、業者の人に処分してもらいました。

 当時、我が家には1匹のマルチーズがいました。名前は "ティシュー"。
 夕方、母が出かけると、私はティシューと2人で、母が戻る真夜中まで過ごしました。

 ガラ~ンとした家。1階の店舗も片づけが終わり、しまったままのシャッターの内側は真っ暗。
 鉄筋コンクリート3階建てのビルに、物がなく、真っ暗な様は、ティシューがいてくれなかったら、私、怖くて耐えられなかったと思います。
 そのうち、引越しの為、まずガスが止まり、水が止まり、電気が止まり、最後、電話が止まりました。
 ただでさえ怖い家で、3月、まだ寒い時期、電気もつかず、ヒーターもない真夜中。
 その状況を、私が受け入れられたのは、ひとえに、寝ずに働く母の姿が、そこにあったからです。

 さて、いよいよ引越しの日が迫ってきました。
 ここで、どうしても私には、しなくてはいけない事がありました。

 気がかりで、気の重い事でした...。


【写真】ティシューです。この子は、家が一番大変な時に、母と私の傍にいてくれた子です。

神野三枝 プロフィール
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コメント

奇跡の復活: 2009年11月 2日 11:00

「罪を憎んでも、人は憎まず。」こんな言葉がありますよね。お母様には、そんな気持ちがあったのでしょうか。人としても懐の深さを感じさせるエピソードですね。

なの: 2009年11月 2日 20:38

私も商売屋(時計屋)の娘でした
父は長男であるがゆえ 大学に行きたかったのを断念させられ家業を継がざるおえなくなり 継いだもののイヤイヤ継いだので ろくに仕事もせず 賭けごとにあけくれ あげくの果てに他人の借金の保証人になり 夜逃げ・・・

なんか 神野さんの境遇と似たようなところがあるようで
毎回興味深く読まさせていただいております

今回は冒頭の写真のティシューちゃんの写真に惹かれました
うちもマルチーズの「華子」という家族がいました
今年の6月23日に16才で亡くなりました
私も 華子にはずいぶん助けてもらいました
辛いときも楽しいときもいつもそばにいてくれました

三好: 2009年11月 2日 20:44

毎回、読めば読む程に、お母さんを尊敬する思いが強くなります。
以前も書きましたが、お母さんと呑みたいな~

季節外れのサンタクロース: 2009年11月 2日 22:55

歩みだすパワーがびんびん伝わってきます。
さわさんのいるお店に行ってみたかったですね。
三枝さん、いつも力を頂いております。
感謝感謝ですぅ

赤い皇帝: 2009年11月 3日 09:30

昼は残務整理、夜はホステスをし第2のスタートを切ったお母さん。自分の長所を的確に分析し”適職”を見つけられ、さすがと思いました。
神野さんと共に過ごした愛犬も大きな存在だったんですね。神野さんの強い精神力と、お母さんの行動力に敬礼です。

たっちょん: 2009年11月 3日 18:14

何事にも前向きですごいパワーですね。さわさん頑張れ!!

けいちゃん: 2009年11月 3日 21:57

このときの三枝ちゃんのそばに、ティシューがいてくれて本当によかった!
残った子どもも辛いけど、子どもを残して働かなければならない母も辛いものです。
お母さんにとっても、ティシューの存在は有難かったと思います♪

バードちゃん: 2009年11月 4日 16:29

やったね!華麗なる転身だ!まさにポジティブシンキング!
ふれーふれーさわさん。母は強し、一人ならそんなパワー出てこなかったんでは? 凛々しいよね。

しゅが~: 2009年11月 9日 11:08

もしかして・・・やらなきゃいけない事とは、愛犬との別れでしょうか・・・
人間同士は大人であれば、頭で理解して心で納得出来ます。
ペットはそれが出来ないので、つらい。
次回、そうでない事を祈ります。

普段、ラジオを拝聴しておりますが、神野さんが時折お母さん想いの言葉を出されますね。コラムを読むたび納得です。

勘違い平行棒: 2009年11月27日 00:49

いよいよお母様が本領発揮、どん底なのにきらきらしてる姿が目に浮かぶようです。着物、話術、接客のプロ、そこで高級クラブのホステスさんに決めるという、素晴らしいプロデュース力(りょく)! 小説を読んでるようで、主人公の活躍にわくわくしている一読者になっています。

おっじ.: 2009年12月 4日 21:44

はじめまして。ラジオで、よく神野さんの、お話、聞きます。
わたしに、とっつては、勉強のような位置の、内容です。
お母様に、宜しく。

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